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堕とされた母

堕とされた母
−1−
「……まあ、越野くんは、日頃の生活態度も真面目ですし」
初老の担任教師が、慎重に言葉を選びながら続ける。
「そんなことをするような子じゃないってことは、私もわかっておるんですが。ただ…」
応接セットの低いテーブルに視線を向ける。
そこには、一箱の煙草と使い捨てのライターが置かれている。
「裕樹くんが、これを所持していたことも事実でして…」
「………はい」対面のソファに腰かけた佐知子は、固い表情のまま小さく頷いた。
卓上の“証拠品”を一瞥してから、隣に座った裕樹へと顔を向ける。
「裕樹。どうして、こんなものを持っていたの?」
「………」
「裕樹!」
項垂れたまま、なにも答えず、顔を向けようともしない息子の姿に思わず声が高くなった。
まあまあ、と教師にとりなされて、なんとか気を落ち着ける。
「……あなたが、自分で買って持っていたわけじゃないでしょう?裕樹が煙草なんか吸わないことは、母さん、よくわかってるわ」
教師の手前をつくろったわけではなく。佐知子は完全に息子の潔白を信じていた。
だからこそ、本当の理由を釈明してほしかったのだが。
「…………」裕樹は頑なに下を向いたまま、肩をすぼめるようにしている。
それは佐知子には、見慣れた態度であった。
幼い頃から、気弱な息子の唯一の抵抗の方法。
「……どうして…」
ため息とともに、そんな言葉を吐き出しながら、しかし佐知子には薄々事情が洞察できてもいた。
「先生」佐知子は教師へと向き直ると、改まった口調で切り出した。
「……あ、は、はい?」
担任教師の返事は、わずかに間があき、うろたえた様子を見せた。
ついつい、この美しい母親の横顔や肢体に視線を這わせてしまっていたのだ。
状況を別にしても、教職者として不埒なことではあるが、同情の余地はあった。
受験を控えた中学三年クラスの担任となれば、生徒の母親に接する機会も多いが。
越野佐知子の容色は、最上等の部類だった。
派手やかではないし、年不相応に若々しいというわけでもない。
そんな押し付けがましさや不自然さと無縁の、しっとりと落ち着いた美しさである。
成熟と瑞々しさのバランスが、中学生の子を持つ年代の女性として、まさに理想的だと思えるのだ。
さらに、いまの佐知子の服装が問題だった。
紺色の薄手のカーディガンの下は、白衣姿なのだ。
看護婦である佐知子にとっては、あくまで仕事着だからおかしな格好というわけではない。
勤務中に学校から連絡を受け、大急ぎでタクシーで駆けつけたのだ。
それは、担任教師も承知している。子を思う母心の表れだと理解している。
だが、ナースの制服とは病院以外の場所では、やはり浮いて見えるし。
妙に……扇情的であるのだ。
機能的なシンプルなデザインは、佐知子の成熟した肢体を強調して、隆く盛り上がった胸や、豊かな腰の肉づきを浮き立たせている。
膝丈のスカートからは、白いタイツに包まれた形のよい足が伸びている。
キッチリと揃えらえた、心地よい丸みの膝のあたりに、どうにも目を吸いよせられてしまいそうになる。
ゴホン、と無意味な咳払いをして、担任教師は佐知子と眼を合わせた。
白衣姿の美しい母親は、自分が、実直だけが取り柄の老境の先生さえ惑わせる色香を発散しているなどとは気づきもせず、固い表情で語りはじめた。
「先生。親馬鹿と笑われるかもしれませんが、どうしても私には息子が隠れて喫煙をしていたなどとは思えません」
「え、ええ。それは、私も…」
「ただ、男のくせに気の弱い子で……こんなふうに、自分の思っていることも満足に主張できないところがあって」
辛辣な言葉を吐きながら、横目で息子を見やる佐知子。
しかし、裕樹は俯いたまま、表情ひとつ変えない。それが、ますます佐知子を苛立たせ、以前から抱いていた懸念を吐き出させた。
「そこにつけこまれて、他の子からいろいろと無理をおしつけられているのではないかと。はっきり言えば、“イジメ”を受けているのではないかと」
「あ、いや、越野さん、それは」
イジメ、の一言に、教師は過敏な反応を示し、裕樹もビクリと肩をこわばらせた。
佐知子は、再び裕樹へと体を向けて、
「どうなの?裕樹。あなた、三年のいまのクラスになってから、時々、傷を作って帰ってくることがあるじゃない。いつも、“転んだ”とか言い張ってるけど。あれは、殴られたりして出来た傷だったんじゃないの?」
「…………」
「あなた、他の子から、イジメられてるんじゃないの?この煙草も無理に押しつけられたものじゃないの?」
推測ではあるが、そうに違いないという確信が佐知子にはあった。
「この機会に、母さんと先生の前で全部話してごらんなさい。あなたがちゃんと事情を打ち明ければ、先生が…」
「ま、まあ、お母さん、落ち着いてください」
言質をとられるのを恐れたものか、慌てて口を挟む担任教師。
「……………」
しかし、懸命な母の説得にも、裕樹は頑として口を開こうとしなかった。
……家へと向かうタクシーの中。
裕樹はチラチラと隣に座った母の表情をうかがっていた。
佐知子は、窓の外に視線を固定して、不機嫌な横顔をこちらに向けている。
(……まずいなぁ)
母の本気の怒りを感じとって、裕樹はため息をつくと、自分も車外へと目をやった。
毎日通りなれた通学路の風景が流れ過ぎていく。
学校から越野家へは徒歩で20分ほどの距離だが、今日は佐知子の服装のことがあるのでタクシーを呼んだのだ。
夕方にしては混雑も少なく、車は順調に家へと近づいているのだが。
帰宅してからのことを思うと、裕樹は気が重かった。
相談室での、担任教諭との話し合いは、あの後すぐに終わった。
結局、煙草は“たまたま拾ったもの”であり、裕樹には何もお咎めはなし。
佐知子から追及されたイジメの件については、そのような問題は起こっていないの一言で退けて、担任教師は勝手に話を収拾してしまったのだ。
無論、佐知子にすれば、まったく納得いかなかったが、完全に逃げ腰になっている担任教師と、押し黙り続ける息子の態度に、矛先をおさめるしかなかったのだった。
住宅街の一隅、ありふれた一戸建ての前に車は停まった。
先に降り立った裕樹は、その場で母を待つ。
支払いを済ませた佐知子が車を降りる時、白衣の裾が乱れて、ムッチリとした太腿が、少しだけ覗いた。
佐知子は裕樹を無視するように、低い門扉を開けて玄関へと向かっていく。
裕樹は、慌てて後を追いながら、
「運転手が、ママのこと、ジロジロ見てたね」
「…………」
「やっぱり、看護婦の格好って、外だと目立つんだね」
なんとか母から反応と言葉を引き出そうと、裕樹なりに懸命だったのだが。
まあ、この場面には、あまり良いフリとは言えなかった。
ガチャリと、差込んだ鍵を乱暴にまわして、佐知子がふりむく。
「誰のせいだと思っているの!?」
「…っ!!」滅多に聞かせぬ怒声に打たれて、裕樹は息をのんで硬直し。
そして、泣きそうに顔を歪めて、うなだれた。
「………………」しばし、佐知子はキツく睨みつけていたが。
やがて、フウと深く嘆息して。
「……いいから。入りなさい」表情と声を和らげて、そう言った。
「…うん」ホッと、安堵の色を見せる裕樹。
佐知子は、開けた扉を押さえて、裕樹を中へと通しながら、
「……晩御飯の後で、ちゃんと話してもらうわよ。全部、隠さずにママに聞かせるのよ」
「うん」素直に、裕樹はうなずいた。
「急に、持ち物検査が始まってさ。押しつけられたんだ。預かっておけってさ」
夕食の後、デザートのアイスを食べながら、裕樹はアッサリと事実を明かした。
「誰に?」
「高本ってヤツ」名前を聞いても、佐知子には顔も思い浮かばないが。
「どうして、断らなかったの?」
「……後が、怖いからね」
「その高本っていう子に、いつもイジメられているの?」
「…いつもって、わけじゃないよ。時々かな」
「どうして、それを言わなかったの? さっきだって、先生に…」
「ムダだよ」
「どうして?」
「だって、宇崎の仲間なんだもん、高本って」
「ウザキ? 宇崎って…」
「宇崎達也。宇崎グループの跡取りだよ」
今度は、佐知子にもわかる名前だった。というより、このあたりで宇崎の名を知らないものは、あまりいないだろう。
旧くは付近一帯の大地主であり現在はいくつもの企業を営み、厳然たる勢力を築いている。
現当主の弘蔵は県会議員でもあるという、いわば“地元の名士”とかいうものの一典型なのだが、宇崎達也は、その弘蔵のひとり息子だというのだ。
今まで、息子のクラスにそんな生徒がいることを知らなかった佐知子は、急に大きくなった話に困惑した。
「…今日だって、もしボクが高本の名前を出してたら、先生困ったと思うよ」
宇崎達也と、その取り巻き連中は、教師たちからもアンタッチャブルな存在として扱われているのだという。
「だから、本当は煙草くらい隠す必要もないんだ。風紀委員だって高本の持ち物なんか調べようとしないんだから」
「じゃあ?」
「多分、ボクを困らせて笑いたかっただけじゃないかな。ちょっとしたキマグレでさ。風紀のヤツも、持ってたのがボクだったから取り上げたわけでさ。高本のモノだって知ってたら、見て見ぬフリをしたはずだよ」
「……………………」
やけに淡々と裕樹は語ったが。聞く佐知子のほうは、半ば茫然とする思いだ。
「……それじゃあ、まるでギャングじゃない」
「違うよ。宇崎は王様なんだ。高本たちは家来」
「裕くん、その高本って子に、目をつけられているの?」
「特にってわけじゃないよ。時々からまれる程度。ボクだけでもないし。……高本って、バカだけど体は学年一大きいんだもん」
逆にクラスでも二番目に小柄な裕樹は、悔しそうに、
「あーあ、ボクも早く背が伸びないかなあ」
「それで、そんな乱暴な子とやりあおうっていうの?ダメよ、そんなの」
「そうじゃないけどさ」
「これからは、なにかされたらすぐにママに教えるのよ?怪我をしたら、ちゃんと見せて」
「うーん……ママには心配かけたくなかったんだけどなあ」
「ダメよ、そんなの。また、裕樹が傷を作って帰ってきたら、今度は、ママも黙っちゃいないんだから」
「でも、高本は宇崎の…」
「相手が誰だろうと、関係ない」
決然と言い放つ佐知子の表情には、最愛のひとり息子を守ろうとする母親の気概と情愛が滲んで。
それを感じとった裕樹は、神妙な顔でうなずいて、
「……ありがとう。ママ」
「なに? あらたまって」
少し照れたように佐知子が笑い、話し合いはひと段落という雰囲気になった。
「さ、お風呂入っちゃいなさい」
そう裕樹に言って、自分は片づけのために食器を重ねて立ち上がった佐知子は、ふと思い出したように尋ねた。
「ねえ。その“宇崎達也”には、なにかされたことはないの?」
実物を知らないから、佐知子の中では、いささか漫画的な悪役としてのイメージを結ぶ、その名であった。
「宇崎はしないよ。あいつは……ボクらのことなんか、相手にしない」
「ふーん……」やはり、いまひとつピンとこなかった。
……まあ、当然な反応といえた。
佐知子に未来を知る力はないわけだから。
……だが。その二時間ほど後。
自分も入浴を済ませて寝室に入った後。
鏡台に座って、髪を梳かしていた時に響いたノックの音に対しては、佐知子は予期するものがあったのだった。
「……ママ……いい?」ドアを細く開けて、パジャマ姿の裕樹が訊いた。
「いいわよ」鏡越しに許諾を与えて、佐知子はブラシを置いた。
今夜は……と、佐知子が息子の訪れを予見していたのは、前回からの日数と、今日の裕樹の心理状態から推し量ったものだった。
拒むつもりもなかったから、佐知子はローブ姿のまま、鏡に向かっていたのだ。
「……いらっしゃい」
薄明かりの中に立ち上がった佐知子は、裕樹を手招きながら、ベッドへと向かった。
スルリと、バス・ローブが床にすべり落ちる。
白い豊満な裸身が現れ出る。佐知子が身にまとうのは、パール・ピンクのショーツだけだ。
タプタプと重そうにゆれる双乳に眼を吸いつけられながら、裕樹は手早くパジャマを脱ぎすてる。
ダブル・サイズのベッドの上に横臥して、佐知子は息子を待つ。
ブリーフ一枚になった裕樹がベッドに上り、母の隣に侍っていく。
佐知子は柔らかな腕をまわして、息子の華奢な裸身を、そっと胸の中に抱き寄せる。
……そんな一連の動きに、慣れたものを感じさせた。
この母子が禁断の関係を持つようになってから、すでに半年が過ぎていた。
「……ママ…」甘えた声で呼んで、裕樹が母の唇を求める。
「……ん……ふ…」
だが、口づけは軽く触れ合う程度で終わる。舌をからませるような濃厚なキスは、裕樹は苦手なのだった。
かわりに、裕樹の口は、母の豊かな乳房へと移っていく。
手に余るような大きな肉果を両手で掴みしめて、唇は真っ直ぐに頂きの尖りへと向かう。
頭をもたげたセピア色の乳首にしゃぶりついて、チューチューと音をたてて吸う。
熟れきった柔肉をジックリ味わい戯れる余裕もなければ、含んだものを舌で転がすような技巧もない。まさに乳飲み子のように無心に吸いたてる。
「……フフ…」そんな愛撫ともいえぬ稚拙で自儘な行為を佐知子は甘受して。
片手で優しく裕樹の髪を撫でながら、細めた眼で見つめている。
赤ん坊に戻ったように甘えられるのは、悪くなかった。
母親としての深い部分で満たされるように感じるのだ。
それに、拙くても、急所を攻められ続ければ、昂ぶりもする。
ジンワリと、身体が潤むのを感じた佐知子は、手を伸ばして、裕樹の股間をまさぐった。
「……フフ…」固く突っ張ったモノを、布地越しに指先でくすぐる。
「……アッ、ア」
刺激にビクビクと背筋を震わせた裕樹が、ようやくオッパイから口を離して可愛らしい声をあげた。
佐知子の手が、ブリーフを引きおろす。
プルン、と。裕樹の未発達なペニスが、それでも精一杯に自己主張して姿を現す。
そっと握りしめて。佐知子は指で、亀頭の半ばまで被った包皮を剥きおろす。
「ちゃんと、キレイに洗ってる?」聞きながら、指先でも恥垢の付着がないか確かめる。
「う、うん」
佐知子にしがみつくようにしながら、何度も裕樹が頷いたとおり、衛生保持の言いつけは守られているようだ。
「アッ、ア、ママッ」
だが、裕樹の幼いペニスは、すぐに多量の先走りの汁を噴いて、裕樹自身と佐知子の指をヌルヌルに汚していく。
手の動きを緩めた佐知子は、頬を上気させ眼を閉じて快感に耐えている裕樹の耳に口を寄せて囁く。
「…ママのも、脱がせて」
うなずいた裕樹の手が、佐知子の張り出した腰へと滑る。
佐知子は、わずかに尻を浮かせて、瀟洒な下着を引き下ろす裕樹の行為を助けた。
……今夜のように、裕樹の訪れを予期している時でも。いつも佐知子は、ショーツだけは身につけるようにしている。そして、必ず裕樹の手で脱がせる。
何故そんな手順を踏みたがるのかといえば…多分、裕樹にも能動的であってほしいからだ。
ふたりの行為は、終始、佐知子がリードするままに進んでいくから。
その中で、些細なことでも、裕樹の側からの積極的な動きが欲しい。
そんな思いがあるから、自分は下着を着けて裕樹を迎えるのだろう。
……と。豊臀に貼りついた薄布がツルリと剥かれる瞬間に、いつも決まって、そんな思考がよぎる。
つまり、佐知子は冷静さを残している。
醒めているわけではない。身体は熱くなり、秘芯は潤んでいる。
だが、我を忘れる、というような昂ぶりはない。
佐知子はムッチリと官能的に肉づいた太腿を交互にもたげて、裕樹が引き下ろしたショーツから足を抜いた。
一糸まとわぬ姿となった爛熟の女体が、間接照明の下に白く浮かび上がる。
まろやかな腹部に、かたちのよい臍穴と、隆い丘の濃密な叢が艶かしい陰影を作っている。
微熱と湿り気を帯びた秘裂が晒されたのを感覚して、佐知子は、
「……触って」裕樹を抱き寄せながら、促す。
毎回、決まりきったパターンなのに、いちいち求めるまで手を出そうとしない裕樹は、従順で可愛いが、もどかしくも感じる。
「……ん…」
オズオズとした指が秘肉に触れると佐知子は艶めいた声を洩らしてくびれ腰をしなわせた。
息子のペニスを握りしめた佐知子の手も緩やかな動きを再開して相互愛撫のかたちとなる。
裕樹は、また母の乳房に吸いついていく。
女の部分を愛撫する手指の動きは、いまだたどたどしくて、佐知子の性感をくすぐるほどの効果しかない。
そして、逸る幼い欲望は、それさえも長くは続けることが出来なかった。
「マ、ママッ、僕、もう……」潤んだ眼で、切羽つまった声で裕樹が訴える。
佐知子はうなずいて、枕元の小物入れから、コンドームを取り出すと、慎重な手つきで、すぐにも爆ぜてしまいそうな裕樹のペニスに被せる。
裕樹が慌しく身を起こして、佐知子の両肢の間に体を入れる。
「……来て、裕樹」爛熟の肉体を開いて、美母が息子を誘う。
「ママッ」裕樹が細い腰を進めて、握りしめたものの先端を母の女へと押しつける。
ヌルリ、と。母と子の体がひとつになる。
「アアッ、ママ、ママッ」
「…ああ……裕樹…」泣くように快美を告げて、裕樹は柔らかな母の胸にしがみつく。
佐知子は、さらに深く迎えいれようとするかのように、ギュッと裕樹の体を抱きしめる。
佐知子の逞しいほどの太腿が、裕樹の細腰を挟みこんで。
裕樹の青い牡の器官は、完全に佐知子の体内に没している。
だが、肉体を繋げてしまえば、もう母子の情事は終焉に近づいているのだった。
今夜もまた、裕樹はせわしなく腰を数回ふって、
「アッ、アアアッ」か弱い悲鳴を上げて、呆気なく欲望を遂げてしまう。
「……ン…」佐知子は、目を閉じて、その刹那の感覚を噛み締める。
そして、グッタリと脱力した裕樹を胸に抱きとめて、荒い呼吸に波打つ背中を、なだめるように撫でた。
あまりに性急で、他愛ない行為。
しかし、佐知子に不満はない。充分に満足を感じてもいる。
もともと、佐知子にとってはセックスとは、そういうものだった。
裕樹の父親―死別した夫との営みも、似たようなものであったから。
(さすがに、これよりは落ち着いたものだったが)。
元来、自分は肉体的な欲求は薄いたちなのだろう、と佐知子は思う。
性の営みにおいても、求めるのは精神的な充足であるのだ。
そして、そんな自分だからこそ。
血を分けた我が子との相姦という行為にも、さほどの抵抗もなく入りこんでしまったのではないかと。
思い返しても、自分でも不思議なほどに、禁忌を犯すことへの躊躇いがなかった。
きっかけは、偶然に裕樹のオナニーの現場に踏みこんでしまったことだった。
うろたえる息子を宥めすかして“この子もそんな年になったのか”という感慨を胸に沸かせた佐知子は、ごく自然に幼いなりに欲望を漲らせたペニスを手であやしていたのだった。
以来、そんな戯れが習慣となり、手ではなく体で裕樹の欲望を受け止めるようになるまで、そう時間は要さなかった。
思春期の旺盛な欲求を抱えて苦しむ息子を癒してやること。
それは母親としての務めであり、代償に受け取る喜びも、あくまでも母親としてのものだ。
だから、自分は平静なままに、息子との秘密を持っていられるのだろうと思う。
もし、裕樹との交わりが、肉体的な快楽をもたらすものであったら。
それを続けることに、もっと背徳を感じてしまうのではないだろうか。
だから、これでいい。このままで、いい…。
……と、いささか迂遠な思考は、日頃、佐知子の意識の底に沈殿しているもので。
いまは、事後の余韻の中でボンヤリと思い浮かべただけのこと。
しかし、このままトロトロと夢にたゆたうわけにもいかないのだ。
佐知子は、のしかかった裕樹の軽い体をそっと押しやって、結合を解いた。
ニュルン、と抜け出た裕樹のペニスは、すでに萎縮していて、白い精を溜めたゴムが外れそうになっている。これだから、いつまでも繋がってはいられないのだ。
起き上がった佐知子は、枕元からティッシュを数枚とって、裕樹の後始末をする。
仰向けに転がった裕樹は、まだ荒い息をつきながら、母のするがままに任せていたが。
佐知子の作業が終わった頃には、もう半ば眠りの中に沈みこんでいた。
「……もう」
呆れたように笑った佐知子だが、今日は疲れたのだろうと理解する。
ただ、縮んでスッポリ皮を被った、裕樹の“オチンチン”を、チョイチョイと指先で突付いてみた。
「…うーん…」
「……フフ…」
ムズがるような声を洩らして、モジモジと腰をよじる裕樹に、もう一度笑って。
上掛けを引き寄せて、身を横たえる。
「……ママ…?」一瞬、眠りの中から戻った裕樹が、薄目を開く。
「いいのよ。眠りなさい」
「…うん…おやすみ…」
体をすりよせて、母の温もりに安堵した裕樹が、本当に眠りに落ちるのを見守ってから、佐知子も目を閉じた。
……だが、すぐには眠りはやってこなかった。
なにか……息苦しさを感じて。佐知子は、何度か深く大きな呼吸を試みる。
最近、裕樹との行為のあとは、いつもこうだった。
その原因について、佐知子は深く考えない。これも情事の余韻だろうと、簡単に受け止めている。そうとしか、佐知子には考えようもない。
そして、しばしの煩悶の末、日中の勤務の疲れによって、佐知子はようやく眠りにつくのだった。
−2−
翌朝。
いつものように登校した裕樹だが、妙に肩に力が入っていたりする。
それは、裕樹なりの決意と覚悟の表れであった。
裕樹の背を押すのは、母から受け取った想いだ。
『今度は、ママも黙っちゃいないんだから』
『相手が誰だろうと、関係ない』昨夜、母が見せてくれた、真剣な怒り。
……ちょっと、泣きそうになるくらい嬉しかった。
ママだけは、なにがあろうと自分の味方でいてくれるのだ、と。
しかし、だからこそ、母には、これ以上の心配をかけたくはない。
自分自身で、対処していかなくてはならない……。
(……いつまでもママに守られてばかりじゃ…僕もママを守れるようにならなきゃ……)
裕樹にとって、幼い頃から崇拝の対象であり続けた、優しくて綺麗なママ。
性徴期を迎えて、性的な欲望が母に向かったのも裕樹にとっては、ごく当たり前のなりゆきで。
(そして、ママはそれに応えてくれた……)
昨夜も味わった、母の柔らかな肉体の感触を思い出して、裕樹は体が熱くなるのを感じた。
相姦の関係が出来てから、裕樹の母への傾倒は深まるばかりだった。
このままの母との生活が続くこと、それだけが裕樹の願いだ。
(……そのためにも、もっと強くならなくちゃな)
彼なりに真剣に、裕樹は誓っていたのである。
そして、そんな裕樹の決意は、さっそく試されることとなった。
「やあやあ、コシノくん」教室の前で、裕樹を呼びとめた、ふざけた声。
高本だった。目の前に立って、裕樹を見下ろす。
頭ひとつ以上も裕樹よりは大きいから、見下ろすという表現に誇張はない。
長身にみあったガッシリとした肉づき、不精ヒゲを生やしたイカツイ顔だちと、とにかく中学生には見えない。
高本は、ニヤニヤと笑いながら、裕樹に掌を差し出す。
「……なに?」
「なに、じゃねえよ。昨日、預けたろうが。俺のタバコ」
「……没収されたよ。見てただろ?」
「没収だあ? そりゃあねえや、まだほとんど残ってたのによ」
「……………」
「越野、おまえ預かっておいて、そりゃあ無責任じゃないの?どうしてくれるのよ」
昨日までの裕樹なら、弁償するといって金を差し出して、とっとと終わりにしているところだったが。
「…知らないよ」
「……ああ?」
「あ、預けたって、無理やり押しつけただけじゃないか」
目を合わせることは出来なかったが、とにかくも裕樹は、そう言ってのけた。
周囲に居合わせた生徒たちが、息をのむ気配があった。
「なに、越野。それ、なんかのネタ?」ヘラヘラとした高本の口調に物騒な成分が混ざる。
「あんまり、面白くねえなあ、それ」ズイと、身を乗り出してくる高本。
裕樹は、グッと拳を握りしめて、その場に踏みとどまった。
(殴られたって)だが、その時、
「おいっ、高本」後ろから掛けられた声に、ひとまず裕樹は救われる。
現れたのは、高本と同じく、宇崎達也の取り巻きの市村という生徒だった。
「あ、市やん、ちょっと聞いてよ。こいつ、越野がさあ」
「んなことは、どうでもいい」急ぎ足に近づいてきた市村は、高本の言葉を遮って、
「達也が入院したってさ」
「えっ? 宇崎クンが?」意外な報せに、本当に裕樹のことなど、どうでもよくなる。
「なんで? 昨日は元気だったじゃん?」
「なんか怪我したらしい。今さっき、ケータイに連絡入った」
「マジで?」
「俺、今から様子見にいくけど」
「あ、いくいく、俺も!」
素早く話をまとめて、始業前だということにもお構いなく、無論、裕樹のことなど完全にうっちゃって、高本と市村は去っていった。
それを、茫然と見送った裕樹。
「越野、やるなあ」
「見直したぜ」あたりにたむろしていた連中に、そんな声を掛けられて、我にかえった。
「別に……どうってことないよ」
務めてクールに返して、自分の席についた裕樹だったが、どうにも口元が緩んでしまう。
まあ、結果的に、宇崎達也の負傷・入院というニュースに救われたかたちではあったが。
とにかくも、高本の脅しに屈することなく、自分の意志を通したのだ。
(……よしっ!)
この小さな一歩をスタートにしようと、裕樹は思いを新たにした。
教室内には、宇崎の入院の情報が伝聞式に広がって話題になっていた。
あまり、同情や心配をする雰囲気はなかった。少数の宇崎シンパの女子が大袈裟に騒いでいるのが、周囲からは浮いていた。
無論、裕樹もクラスの多数派と同じ心情であった。
直接、なにかされたことはないが…というより、まともに会話したこともないが、宇崎に対して、好意を抱く理由は、ひとつもない。
悪いようだが…これで、しばらく宇崎が休むなら、せいせいするとまで思ってしまう。
(……高本も市村も、慌てちゃってさ)
ボスの一大事に、すわとばかりに馳せ参じていった奴等のことを思い出して、哂う。
この朝、裕樹は、さまざまな理由で愉快だった。
いけすかない同級生を見舞ったアクシデント。
その“他人事”が、裕樹にとっても大きな運命の分れ目であることなど、この時点では知るよしもなかったから……。
そして、同じ頃。
出勤した佐知子もまた、そうとは知らぬうちに、運命の岐路に近づいていたのだった。
夜勤の看護婦との引継ぎで、
「…特別室に?」
昨夜、担ぎこまれた急患が特別病室に入ったという報告に、佐知子は眉を寄せた。
年若な部下が手渡したカルテに、素早く目を通していく。
一分の隙もなく制服を着こなし、キリリと引き締めた表情でカルテを読む姿には、熟練のナースとしての貫禄が漂う。ここでの佐知子の肩書きは主任看護婦。
婦長や院長からも全幅の信頼を受けて、現場を取り仕切る立場であった。
……この、理知的な美貌に気品さえ感じさせる女性が、昨夜も息子との禁断の情事をもっていたなどとは、誰も想像も出来ないだろう。
「……左足の骨折と、右腕の挫傷…?」
習慣的に、まず症状記録を目に入れて、これなら特別病室を使うほどのこともないのでは?
と訝しく思った佐知子だったが。
患者の氏名を確認して、その疑問は氷解した。
「宇崎…達也?」
「そうなんです」
越野主任の驚きの、本当の理由は知らないまま、若い看護婦はしきりにうなずいた。
「もう、昨夜はちょっとした騒ぎで……治療には、院長先生もわざわざ立会われましたし。それで、看護は越野主任におまかせするようにって、婦長が…」
「そう……了解したわ」
引継ぎを終えた佐知子は、ナース・ルームを出て、特別病室へと向かった。
その名の通りの部屋。若い看護婦たちの間では、“スウィート・ルーム”という符牒で呼ばれているというのが、その性質を表しているだろう。
この市内最大規模の私立病院の、経営方針を物語ってもいる。
その部分では、いまだに佐知子は抵抗を感じるのだが。高い給与という恩恵にあずかっているから、文句を言える立場でもない。
エレベーターで五階へ。フロアは静かである。
一般の病室は、二~四階にあるから、この階には患者や付き添い人の姿はない。
特別病室の最大のウリは部屋の広さや贅沢な設備より、この隔絶性にあるのかもしれない。
過去に入室していた患者も、社会的な地位のあるものばかりであった。
宇崎達也は、これまでで最年少の患者だろう。
(……宇崎達也か。こういうのも“噂をすれば影”って言うのかしら?)
人気のない廊下を歩みながら、佐知子はにひとりごちた。
息子の裕樹から、その存在を教えられたのが、つい昨晩なのだ。
あまり、良い印象は持てない伝聞であったが。
無論、“それはそれ”だ。看護婦としての務めとは全く関係のないことだと、わざわざ自分に言い聞かせるまでもなく、佐知子の中で分別はついている。
病室の前に立つ。プレートの氏名を確かめながら、ドアをノック。
はい、と、室内から落ち着いた応え。
「失礼します」……その邂逅が齎すものを、今は知るはずもなく。
佐知子は、静かにドアを開けて、入室した。
……数時間後。
「マジで、ありえねえよ、宇崎クン。中学生のくせにバイクで事故ってケガするなんてさ」
高本の大声が、病室に響く。
「カッコイイんだかワルいんだか、判断苦しむもの、それ」
「カッコよくは、ないだろ」
ベッド脇に山と詰まれた見舞い品の中から、果物を物色しながら、市村が口を挟んだ。
「うるせえよ。それに俺はバイクで事故たんじゃなくてちょっと転んで怪我をしただけだ」
起こしたベッドに背をもたれた宇崎達也が、そらっとぼけた。
いまのこの部屋の主である若者は、パジャマ姿で、左足首をギブスで固め、袖を捲くり上げた右肘に包帯を巻いている。
「表向きはそういうことになってんだから、間違えるなよ。だいたい、中学生がバイクなんか乗りまわすわけがないだろが」
「クク……、たしかに宇崎クンは優等生だからなあ。ヒンコーホーセイって、やつ?」
ぬけぬけとした宇崎の言葉に、高本が笑う。
市村は籠から取った林檎を弄びながら、窓の外を眺めている。
この高級な病室に集まった三人は、外見や雰囲気はバラバラだが、とても中学生には見えないという点が共通していた。
宇崎も市村も、高本ほどではないが長身である。
なにより、顔立ちや言動に、子供らしさというものがなかった。
「……それより」
市村が、宇崎に顔を向けて口を開いた。この痩身の、特徴のない容貌の少年は宇崎達也とは小学生の頃からの友人で、高本と比べて、達也への接し方に遠慮がない。
「なんで、時間をおいて来いって?」
時刻は、もうすぐ正午になろうという頃だった。
朝のうちに学校を抜け出たふたりの来訪が、この時間になったのは、達也からの再度の電話で、昼まで待てと言われたからだった。
足止めをくった二人は、繁華街をブラついて時間を潰してきたのだった。
「ああ。午前中は、親父の関係の見舞いが押しかけるって予測できたからな」
そう言って、見舞いの花束や果物籠の山に皮肉な目を向ける。
「まったく。ガキの機嫌をとって、どうしようってんだか」
冷笑を浮かべると、彫りの深い秀麗な顔立ちだけに、ひどく酷薄な相になった。
このメンツ以外には、決して見せない表情だ。つい先ほどまで、その見舞い客たちに対しても、いかにも御曹司らしい礼儀正しさで接していたのだから。
「でも、思ったよりケガが軽くてよかったよね。これなら、わりと早く出られるでしょ?」
「まあ、そうなんだけどな…」高本の問いかけに、達也は思わせぶりな間をおいて、
「……この際、少しゆっくりしようかと思って」
「なんで? つまんねーじゃん、こんなとこにいたってさあ」
意外な達也の言葉に、驚く高本。市村も、探るような眼を達也に向ける。
達也は、ニヤニヤと邪まな笑みを浮かべていたが。
ノックの音に、スッと表情を変えた。
「はい。どうぞ」柔らかな声で応答する達也。
そしてドアが開くのと同時に高本と市村へと向かって、突如熱っぽい口調で語りはじめる。
「だから、午後からは、ちゃんと授業に出ろよ?」
「は?」
「そりゃあ、心配して駆けつけてくれたのは、嬉しいけどさ」
「え? はあ?」
やおら真剣な顔になって、まったく似つかわしくもない正論をふるう達也に、目を白黒させる高本だったが。
「……わかったよ。午後の授業には出るから」
「いいっ!?」
市村までが、気持ちしおらしい声で、そんなことを言い出すに及んでは、完全に絶句して、ただ不気味そうにふたりを見やるだけ。
うん、と宇崎達也は満足げにうなずいて。
ドアのところに立って、わずかに困惑したていで少年たちのやりとりを眺めていた看護婦―佐知子に向き直った。
「すみません。食事ですね?」
「え、ええ」
佐知子は、ひとりぶんの昼食を乗せたワゴンを押して、ベッドに近づけた。
備え付けのテーブルをセットする。
手馴れた動きで準備を整える佐知子に、三人の視線が集まる。
佐知子は、務めてそれを意識しないようにしながら、手早く作業を終えて、食事のトレーをテーブルに移した。
「ありがとう」 達也が微笑を佐知子に向ける。
「あ、こいつらは僕の友人で、市村と高本」
「どうも」高本の名を聞いた時、佐知子の表情が微かに動いたが。
ペコリと、市村に頭を下げられて、無言で目礼をかえした。
「僕のことを心配して、学校を抜けてきちゃったらしいんです。すぐに戻るって言ってるから、見逃して」
悪戯っぽく笑って、達也が言った。
……無邪気な笑顔に見えるんだから、美形は得だよな。
そう、市村は内心に呟く。
佐知子は戸惑うように、達也の笑顔から目を逸らしながら、うなずいた。
「……なにか、変わりはありませんか?」
「うん。大丈夫です」
事務的な口調で、佐知子が尋ねるのにも、達也はあくまでも笑顔で答える。
「…なにかありましたら、呼んでください」
佐知子は最後まで生硬な態度を崩さずに、そう言い置いて部屋を出て行った。
白衣に包まれた、グラマラスな後ろ姿がドアの向こうに消えるのを、三人はそれぞれの表情で見送る。達也は微笑を浮かべて。市村は無表情に。
高本は、いまだ要領を得ない顔で。
完全に佐知子の気配が遠ざかってから、達也はふたりへと向いた。
「どうよ?」そう訊いた口調も表情も、ガラリと変わって、奸悪なものになっている。
「どうよ、って、なにが?つーか、俺が聞きたいよ!なんなの、いまのは?」
堰を切って、疑問をぶつける高本。
「宇崎クンも、市やんも、いきなりワケのわかんないこと言い出してさあ」
「うーん、アドリブが弱いよな、高本は」
「なんだよ、それ!?」
「その点、浩次はさすがだね」
「…あれくらい出来なきゃ、達也とは付きあってらんないよ」
「あー、イラつく! ふたりだけで解っちゃって」
「だから。どうだった? いまの女」
「いまの? 看護婦? ……乳、デカかった」
「ちゃんと、見てんじゃないかよ」
「ケツも、こうバーンと張ってて。それに白衣っつーのが、また…」
佐知子の肢体を思い出しながら、熱っぽく言葉をつらねて。
そして、ようやく得心がいった表情になる高本。
「……そういうこと?」
「そういうことだよ」 ニンマリと笑って、達也がうなずいた。
「ふーん……けっこう年増だね」
「熟れたのは、嫌いだっけ? 高本くんは」
「いえいえお好きですよう。いいじゃない熟女ナース!その響きだけで、グッとくるもの」
「フフ……浩次はどうだよ?」
「面白いね。顔も体もいいし」
「お。いつになく、積極的じゃないか?」
いいんじゃない、くらいの返答を予想していた達也は、意外そうに見た。
「だって、あれ、うちのクラスの越野の母親だろ?」
「越野の?マジで?」 大仰に驚く高本。
「名前見て、ピンとこなかったのかよ?」
「名前?どこに?」市村は、呆れ顔で高本を見やり、自分の左胸を指差して、
「ここに。名札つけてたろう。おまえ、乳のデカさはしっかり観察しといて、気づかなかったのかよ」
「あ、そうだった? いや、ほら、あくまで大きさや形を見てるわけでさ。字とかは、ね」
「字とかって……もう、いいよ」
だが、その後の達也の言葉に、市村はまた嘆息することになる。
「ふーん……うちのクラスに、越野なんてヤツ、いたんだ」
「……これだよ。まあ、予測してたけど」
興味のない相手には、石ころほどの注意もはらわない達也である。
「小坊みたいなチビだよ、宇崎クン」
「高本が、しょっちゅうイジメてるヤツだよ。ほら、昨日も」
「……ああ、わかった。なんとなく」
実際、“なんとなく…あいつかなあ”くらいにしか思い出せなかったが。
いまは、その正確さが問題でもないから、達也は適当にうなずいて、
「で、あの女が、その越野の母親だって? 間違いないのか?」
「多分ね。確か、看護婦だったし。そうある苗字でもないだろ」
「うーむ……、あの越野に、あんな色っぽい母ちゃんがいたとは。越野のくせに!」
わけのわからない理屈で、勝手に憤っている高本は放置。
「……それでか。最初に会った時から、妙に態度が固かったんだ、あの女」
「まあ、いろいろ息子から聞いてるのかもね。だとしたら、俺たちには、いい印象はもってないだろうな」
「ああ、越野って、いかにもマザコンくせえもん。“またイジメられたよう、ママン”とか泣きついてそう。…あのデカい胸に? うらやましいぞ、このヤローッ!」
「……………まあ、マザコンってのは、あるかもな。確か、父親は亡くなってて、母ひとり子ひとりってやつだから」
「え? じゃあ、未亡人ってやつなの? あの、ムチムチ母ちゃん」
「確か、そうだった」
「…てか、なんで市やん、そんなに詳しいのよ? 越野の家のことなんかさ」
「どっかで聞いたっつーか、小耳にはさんだ」
「そんだけで?」
「浩次は、どうでもいいようなこと、よく覚えてるからなあ。ガキの頃から」
「まあね」
「あ、でも、今回は役に立ったじゃん。越野情報」
「役に立つっていうか、おさえといた方が楽しめるだろ?せっかく、こんなおいしいシチュなんだから」
「まったくだ」達也が深くうなずいて。少年たちは、悪辣な笑みを交し合った。
「ちょっといい女だから、入院中のヒマつぶしくらいのつもりだったんだけどな。こうなりゃ、俺も本気で攻略にかかっちゃうよ」
「おお、宇崎クン、燃えてるよ。こりゃ、越野ママ、中学生の肉便所、確定?」
「なにを言っているんだ、高本くん。僕は、寂しい御婦人を慰めようとしてるだけだよ。しかも、クラスメイトのお母さんを肉便所にだなんて……肉奴隷くらいにしときたまえ」
「おお、優しい」
「……越野も、気の毒に…」
しみじみとした市村の呟きに、ゲラゲラと笑いが弾けた。
「……さて。じゃあ、君たちは学校へ戻りたまえ。僕も食事を済ませないと」
また、真面目くさった表情を作って、達也が言った。
思いの他に、謀議が長引いて、佐知子が運んできた昼食には、まだ手もつけていない。
無論、いまさら学校へ戻る気などさらさらないが、達也の芝居に合わせるために、市村たちは腰を上げた。
「ああ、でもなあ……」 未練げな声を上げたのは、高本だ。
「今回は、“口説きモード”で、いくんだろ? だから、こんなサル芝居してるんだよね?」
「まあな」
「そっちのほうが、面白いじゃん」
「そりゃあ、わかるんだけどさあ……俺たちに、まわってくるまで、だいぶ時間かかるよなあ。辛抱たまらんよ」
「テキトーに誰かで処理しとけよ……ああ、そうだ」達也は、ふと思いついたふうに、
「なんなら、百合絵つかってもいいぞ」
「マジで!? いいの!?」
「好きにしろ。あいつなら、越野ママをヤる時の予行演習にも丁度いいだろ」
鷹揚に言って、ようやく食事にとりかかる達也。
「……市やん…」 うかがいをたてるように、市村を見る高本。
どうやら、達也の見せた気前のよさは、よほどのことであるようだ。
「…それだけ本気ってことだろ」 そう言いながら、市村も驚きは隠せない。
「ちぇっ。すっかり、冷めてやがる」 スープをひとくち飲んで、達也が舌打ちする。
言葉とは裏腹に、やたらと上機嫌だった。
−3−
ナース・ルームへと戻った佐知子は、今しがた特別病室で目にした光景を思い返していた。
それは、またしても、宇崎達也という若者への印象を混乱させるものだった。
また、というのは、朝の初対面の時から、意外な感を抱かされていたからだ。
朝の病室で。達也は入ってきた佐知子を見ると、一瞬だけ目を見張るようにして。
そして、フッと、綻ぶような笑みを浮かべた。
『あなたが、僕を担当してくれるひとですか?よろしくお願いします』
奇妙なほど嬉しげにそう言って、横たわったままながら、礼儀正しく頭を下げてみせたのだった。
初手から、佐知子は当惑させられてしまった。
事前の情報から、どんな厄介な患者だろうかと身構えていたのに、実際に対面した達也が見せる表情や物腰は、予想とまるで違っていたからだ。
『越野です。よろしく』
困惑を隠して、佐知子は、少し固い笑顔を達也に向けて、簡単に名乗りを済ませた。
その後、朝の検診に取り掛かった。
問診や検温という作業を手早くこなしていく中で、佐知子はペースを取り戻せるかに思えたのだが。
今度は、ジッと自分を見つめてくる達也の目線に、落ち着かない気分にされてしまった。
それは邪まさを感じるものではなかった。
勤務中に、不埒な視線を白衣の胸や尻に向けられることには慣れている佐知子だが。
達也の視線には、そのような色合いはなかった。
実際、達也の注視が注がれているのは、佐知子の顔だった。体ではなくて。
だが、下劣なものは感じなくても。そんなにも見つめ続けられれば息苦しくなってしまう。
『……どうかしましたか?』
脈拍数を計ろうと、達也の手首を掴んだところで、堪えかねて佐知子は訊いた。
それまで意識して避けていた達也の目をとらえて。声には、微かにだが、非難するような響きがあった。
『あ、ごめんなさい』
即座に、そう返した達也だったが。表情にも口調にも、少しも悪びれたようすはなく。
佐知子から眼を外すこともせずに。
『綺麗な看護婦さんで、嬉しいなって』 サラリと、そんなセリフを吐いたのだった。
『……っ』 咄嗟に、佐知子は反応できなかった。
この手の言葉にも慣れっこのはずの佐知子が思わず絶句して達也を見返してしまったのは。
そこに、追従や下心といった下卑た色が、感じられなかったからだった。
なんの気負いもなく、ごく自然なことのように。
『………?』言葉を詰まらせた佐知子を、不思議そうに達也は見上げていた。
『……看護婦に、お世辞をつかう必要はありませんよ』
なんとか惑乱を鎮めた佐知子は、達也から眼を逸らして、そう言った。
冷静な、大人らしい対応……をとったつもりだった。佐知子としては。
『え? あれ?』
達也は、佐知子の言葉と態度の意味を掴みかねたように、首をひねって、
『……あ、そうか』解答を見つけて、整った顔立ちをしかめた。
『ごめんなさい。よく、友達にも注意されるんだよね。なんでも思ったままを口にすればいいってもんじゃないって』
『……………』
『生意気でしたね。謝ります。ごめんなさい』
『え、いえ…』
頭を下げられても、佐知子としては反応に困るような話の流れであり、さらには、
『……でも、綺麗なものは、綺麗だって言いたいんだよな。やっぱり』
真面目な顔で、宙を睨んで、佐知子のことなのか一般論なのか判然としないことを傍白する達也に、なおさら言葉を奪われてしまうのだった。
……佐知子は、その後すぐに病室を出た。逃げ出したようなものだった。
終始、宇崎達也に翻弄されてしまったのだ。中学生、自分の息子と同年齢の少年に。
ナース・ルームに戻って、気持ちを落ち着かせて。
先ほどまでの、自分の、ほとんど醜態と言っていいような拙い対応を思い出して。
佐知子は、悔しさと羞恥の感情を噛み締めた。自分に腹が立った。
やはり、事前の情報から先入観を持っていたのだ、宇崎達也に対して。
それも、わずかな伝聞と周囲の状況から、いかにも類型的な人物像―我侭放題に育てられた驕慢なお坊ちゃま―を、思い描いていたのだった。
だが、実際に会った宇崎達也は、そんな漫画的な想像とは、かけ離れていた。
穏やかで礼儀をわきまえた若者だった。
いきなり、そのギャップに戸惑ったことから、ペースを乱されてしまったのだから。
自分の浅はかさへのしっぺ返しをくらったようなものだ。
……と、佐知子が自省していると、仕事から戻ったナースが話しかけてきた。
『主任、どうでした? 特別室の患者さんは』
年若な部下たちは、興味津々といった顔を佐知子に向けていた。
『え?……そう、ね…』
普段の佐知子であれば、このようにゴシップ的に患者を話題にすることを注意したであろうが。
この時には、つい考えこんでしまった。
それは、佐知子自身が、宇崎達也という若者の実像を、どう捉えたらいいのか、掴みかねていたからだった。
『なんでも、かなり可愛いコらしいじゃないですか?』
やはり、若い娘の興味は、まずそこへ向かうらしかったが。
『可愛い…?』その言いようには、強い違和感が生じた。
確かに、宇崎達也は端正な美しい顔立ちをしている。だが、それをして“可愛い”などという印象はまったく受けなかった。
その若いナースは、実際に達也を見たわけではなく、美形だという情報と、中学生という年齢を併せて、そう言ったようだ。
確かに“ハンサムな中学生”ならば“可愛い”という評価で妥当なところだろう普通には。
だが、宇崎達也は違う。
彼女たちも、一度でも達也と直に接すれば、もう“可愛い”などとは言えなくなるだろう。
『……バカね。主任が、そんなこと考えるわけないでしょ?アンタじゃあるまいし』
佐知子が言い淀むのを、不機嫌さと誤解した他のナースが予防線を張った。
それに気づいて、佐知子は曖昧な言葉で場をまぎらせる。
『そう…なのかしらね。なにしろ、息子と同じ年の子だから…』
『あ、そうか。裕樹くんと同い年ですよねえ』
ならば、そんなこと気にもかけないか、と勝手に納得してくれる。
(同い年か……とても、そうは見えないけれど)
どうせ、彼女たちが実際に宇崎達也を見たあとには、そういう話になるだろう。
自分から裕樹を話題に出したのは失敗だったと思った。
つまらないことだが。母親として我が子の成長の遅さを言われるのはやはり面白くはない。
その後、婦長から呼び出しを受けた。
当然のように、用件は、宇崎達也の看護についてだった。
佐知子は担当者として特別病室への対応を最優先させるよう、あらためて指示された。
そのために、佐知子の従来の仕事を大幅に減らして、他のナースにまわすという処置には、佐知子はおおいに異存があったが。
婦長は、佐知子の先をとって、言いたいことはわかっている、と頷いて、
『とにかく、こちらとしては出来るかぎりのことをしていると提示することが重要なのよ、この場合は』
だから、熟練の主任看護婦である佐知子を、ほぼ専任に近いかたちで担当にするのだ、と。
『まあ、ここはあなたも、信条を曲げて協力してちょうだい』
苦笑まじりに、そう頼まれれば、佐知子も了承するしかなかった。
……そういう次第で。
特別室の担当となった佐知子は、同時にヒマになってしまった。
ナース・ルームの自分の席で、わずかなデスク・ワークをこなしながら、思索の向かう先は、やはり、特別病室の患者のことだった。
やはり只者ではなかった、というのがこの時点での佐知子の実感だった。
その、泰然自若といった態度は、とても中学生とは思えないものだ。
そして、いきなりの、あの発言。
“綺麗な看護婦さんで、嬉しいなって”
その時の、達也の表情と声を思い出して(やけに鮮明に記憶に残っていた)
佐知子は、今さらに頬が熱くなるのを感じた。
(まったく……聞くほうが、恥ずかしくなるようなことを…)
だが、真に恐るべきは、そんなセリフが、宇崎達也の口から出ると、微塵のわざとらしさも感じさせなかったということだろう。
達也の釈明によれば、“思ったままを口にしただけ”ということだ。
その無防備さ、無頓着ぶりが、お坊ちゃんらしいといえるのかもしれないが。
厄介だな、と佐知子は嘆息した。これまでに経験のない種類の厄介さだ。
……佐知子を、ベテラン看護婦らしくもなく悩ませる、“厄介な患者”、宇崎達也の病室へは、午前中、何人もの見舞い客が訪れた。
佐知子も何度か、窓口から病室までの案内に往復した。
見舞い客は、スーツ姿の大人ばかりで、中学生である達也とは、なんの接点もなさそうな者ばかりだった。そして病室には、達也の父親の秘書が出張っていて、来訪者への応対をこなすというのだから……。
空疎なやり取りを垣間見ながら、はじめて佐知子は、宇崎達也に同情したくなった。
しかし、病室に来客を迎える達也の態度は、相変わらず泰然たるもので、気安い同情や憐憫など、よせつけないような強さがあった。
だから、やはり佐知子は、この若者の実像を掴めずに。
見舞い客が途切れ、秘書が去った後で、昼食を届けに病室へ向かう時も、気後れと警戒心を払拭することが出来ずにいたのだった。
そして、あのやり取りを目の当たりにしたのだ。
部屋には、達也の友人だという二人の男子中学生が訪れていた。
平日の昼間なのだから、学校をサボっって来たということになるだろう。
それだけを取れば、やはり不良生徒を取り巻きにしているのだと断じることで、佐知子も、達也への認識を落ち着かせることが出来たろうが。
宇崎達也は、すぐに学校へ戻るようにと、熱心に友人たちに説いていたのだ。
心配して来てくれたのは嬉しいが、学校を抜け出すのはよくない、と。
……どう受け止めればいいのだろう?
またも、佐知子は考えこまされる。
病室から戻って自分のデスクで黙然と思い悩む流れは、朝の行動の繰り返しになっていた。
……どうもこうも、ないのでは?そのまま、虚心に受け止めればいいだけのことなのではないか?
自分が困惑するのは、宇崎達也の言動に、いちいちウラを読もうとするからではないのか。
結局、先入観や偏見を捨て切れずに。
……違う。それは違うのだ。
伝聞だけで人を判断することの愚など、佐知子にもわかっている。
だいたい、宇崎達也に対して、偏見に凝り固まるほどの知識などなかったのだし。
そんなことではなくて。
あの大人びた少年の、穏やかさや柔らかさを、素直に受け入れることを、佐知子に躊躇わせるのは……佐知子自身の感覚の中にあった。
達也と顔を合わせ言葉を交わす時に感じた、“なにか”。
……曖昧で判然としないだけに、どうにも胸の中にわだかまってしまうもの。
それが、佐知子へ警戒を訴えかけるように思えるのだった。
一方では、馬鹿げていると思う。そんな埒もない感覚に囚われる自分を。
怖れるべき、どんな理由があるというのか?
相手は、大人びているとはいえ、中学生の少年だ。自分の息子と同い年の。
向こうは患者で、こちらはは看護婦。やがて傷が癒えて去るまでの、わずかな時間だけが接点。
怖れや警戒を持つほどの関係など、ありえないのだ。
(……それとも……まだ、あの言葉を気にしているの?)
不意に。そんな自問が意識の底から浮き上がってきて。
佐知子は呆れた。呆然としてしまった。
あの言葉とは、達也が初対面でカマしたやつだ。
“綺麗なひとで、嬉しいなって”佐知子は、その問いかけを胸に沸かせた自分に呆れた。
馬鹿馬鹿しいにも、ほどがある。
相手は、中学生だ(…今朝から、何度この言葉を心中に繰り返したろうか?)。
息子の裕樹の同級生なのだ。
そんな子供の他愛もない放言を少しでも真に受けて、それで、自意識を過剰にしているというのか?
つまり、怖れや警戒とは、女としてのものだというのか?
(バカらしい……) 急に、グッタリと疲れを感じて、佐知子は肩を落とした。
(それは……私は、中学生の息子と関係している母親だけれど……)
疲労感のせいか、そんな伝法な思考がよぎった。
それとこれでは、裕樹と宇崎達也では、まるで話が違ってくる。
裕樹との関係は、あくまで母として子を受け入れる行為だ。
そう認識することで、佐知子の中では折り合いがついている。
だから、この相姦の秘密を抱えた美貌の母親は、息子以外の中学生の少年を男として見ることなど、ありうべからざることと断じるのだ。常識的に。
(……まあ、とても中学生には見えないけど)
少年と呼ぶことすら躊躇わせる容姿と雰囲気を宇崎達也は持っている。
結局、それが一番の戸惑いの要因だろうかと考えながら、立ち上がった。
なんのかんのと考えこんでいるうちに、一時間以上すぎている。
達也は、とうに食事を終えているだろうから、食器を下げに行かなくては。
特別病室のドアは、閉めきられずに薄く開いていた。
ノックに応えはない。
少し待ってから、佐知子はそっとドアを押した。
「……失礼します」室内は静かだった。見舞いの、二人の中学生の姿は消えている。
宇崎達也は眠っていた。
ベッドを浅い角度に起こしたまま、上掛けは腰のあたりで折り返したままで。
腹の上に組んだ両手を乗せて、いかにも、うたた寝といったふうに。
「……………」室内は静かだ。聞こえるのは、達也のかすかな寝息だけ。
佐知子が、その場に立ち竦んでしまったからだ。
閉じた瞼に、その意志的な双眸を隠した達也の寝顔は、少しだけ、年相応な少年らしさを覗かせているようにも見える。
だが同時に、表情をなくしたことで、その怜悧なまでの端正さが強調されてもいた。
「……………」
……と、開け放たれた窓から吹きこんだ緩やかな風が、眠る達也の前髪を揺らした。
毛先に擽られた目元がしかめられて。
そして、達也はパチリと目を開いた。
「…っ!」
我知らず、その寝顔に見入ってしまっていた佐知子は、目覚めた達也と正面から見つめあうこととなって、慌てて眼を逸らした。
奇妙な後ろめたさに、頬に血が昇るのを感じた。
だが、寝起きの達也は、そんな佐知子の焦りに気づいたようすは見せずに、
「あ…寝ちゃってたや」 まだ寝惚けたような声で、呟いた。
佐知子は気を落ち着かせて、テーブルからトレイを取ると、入り口の壁際に寄せ置かれたワゴンへと運んだ。
「…あ、ごちそうさまでした」ボンヤリと、目覚めきらぬ達也の声が、背にかけられる。
考えてみれば、昨夜の入院から、まとまった睡眠はとっていないはずである。
「眠るなら、ちゃんと寝たほうがいいですよ」 ナースの顔で達也に振り向いて忠告した。
「あ、はい…そうしようかな」
「……窓、閉めますね」
そう言って、キビキビとした動きで窓辺へ向かう佐知子の、白いタイツに包まれた脹脛の肉づきに。
陽射しを調節しようとカーテンを引いた時の、腰の僅かなよじれに。
白衣のスカートを張りつめた、豊かな臀の丸みに。
達也は、舌なめずりするような表情を浮かべて、粘い視線を這い回らせた。
「越野さん」
しかし、円熟の色香に満ちた背姿に掛けた声は、何気ないものであり。
呼ばれた佐知子が振り向いた時には、その双眸からも危険な色は霧消して、他意のない表情に切り替わっていた。
「越野さんて、うちのクラスの越野くんの、お母さんなんでしょう?」
「………ええ」 佐知子の返答には、少しの間と躊躇の気配。
「やっぱり、そうだったんだ。どうして、教えてくれなかったんです?」
「……特に、言う必要はないと思ったから…」
「ええ? そういうものかなあ」
どこか弁解がましい口調になる佐知子に、達也は納得できないという顔になる。
無論、意図的に作った表情だった。
「そりゃあ、入院生活には直接関係ないかもしれないけど。教えてくれるのが、自然なんじゃないかな」
「………………」 達也の主張は、もっともなものだから、佐知子は反駁できない。
「だから僕、考えたんだけど…。きっと越野くんから、なにか聞いてるんじゃないかって」
「……なにか?」
「そうです。なにか、僕の良くない噂を聞いていて、だから、越野くんのお母さんだってこと、隠してたんじゃないかって」
「そんなことは…」
「だって、越野さん、最初から妙によそよそしいというか。態度が固いですよね」
苦笑を浮かべる達也。大人びた口調と表情に、佐知子はまた言葉を失う。
「正直に言って、越野くんとは、そう親しくはないんです。あまり、話をしたこともないし。で、そういう人たちの間で、いろいろ言われてることは、僕も知ってるし」
「それは」
佐知子は釈明の必要を感じた。このままでは、裕樹の立場が悪くなると思ったのだ。
「裕樹からは、宇崎くんについて悪いことなんて、なにも聞いてないの。それは本当です」
そして、口を開いたうえは、母親として言っておくべきことがあった。
「ただ……今日来ていた、高本くんに、裕樹がイジメを受けているようなの」
「高本に?」
ユウキ、コシノユウキね。いちおう覚えとかなきゃな、とか考えながら驚いてみせる達也。
「高本が、ユウキくんをイジメてるって?」
「そうよ」
ごまかしは許さないといった決然たる態度で、達也に向き合う佐知子。
裕樹の母親だと明かしてしまえば、その立場が、おのずと明確なスタンスを定めてくれた。ようやく足元が安定した心地で、佐知子は、これまでの劣勢を挽回しようとするかのように、厳しい眼で達也を見据えた。
(いい女は、怒った顔もソソるな) と、愉しんでいるのは、おくびにも出さずに。
「うーん……確かに、高本のヤツは、悪フザケが過ぎることがあるからなあ」
首をひねりながらの、達也の暢気な言いぐさは、当然ながら佐知子には承服できない。
「悪フザケで済むようなことではないわ」
「でも、悪気はないんですよ」
佐知子の怒りの気色にも、達也はあくまでもノホホンと、
「まあ、お調子ものだから、悪ノリしすぎってこともあるでしょうけど」
「……………」噛み合わない会話に、佐知子は言葉を途切れさせた。
だが、達也が、事実を糊塗しているようには思えなかった。本当に、そういう認識しか持っていないのだろうと思わせる態度だった。
「あ、ごめんなさい。お気楽すぎましたね」
佐知子がムッツリと口を噤むと、すかさず達也は謝罪して、表情を引き締めた。
「確かに、いくら悪気がなくたって、相手がそれを苦痛に感じるなら、イジメと同じですよね。高本には、僕から注意しておきます」
キッチリと話をまとめられてしまって。
それでいいですよね?とあくまで落ち着いた調子で問われれば佐知子はうなずくしかない。
文句のつけようもない達也の対応に、自分の方が大人げない言いがかりをつけてしまったように思われて、羞恥の感情がわいた。
つくづく……宇崎達也は、佐知子にとって鬼門というべき相手であった。
どうあっても精神的優位に立つことを許されず、逆に余裕や平静さを奪われてしまうのだ。
「じゃあ、これで余計な引っかかりもなくなったってことで」
サラリと、そんな言葉を吐いて、達也は屈託なく笑う。
「越野さんも、もう少し打ち解けてくれると嬉しいな」
「別に…私は、普通に接しているつもりだけれど…」
「じゃあ、他の患者にも同じ感じなんですか?僕くらいの年の子に、いつも、そんな馬鹿丁寧な言葉使いで話すんですか?」
「それ…は……」
「普段は、もっと気さくで柔らかい感じなんじゃないですか?越野さんって、いかにも優しい看護婦さんのイメージだし。だったら、僕も、そういうふうに接してほしいな」
熱をこめて達也は言い募ってから、ふと表情を変えて、
「……それとも。僕が宇崎の息子だからですか?」
探るような眼を向けて。佐知子が咄嗟に返答できずにいると、フイと視線を横に逸らせた。
「……特別な扱いなんて、望んじゃいないのに」 つまらなそうに呟く。
「………………」寂しげな翳りを刷いた横顔。佐知子の胸に痛みが走った。
「……ごめんなさい」 罪悪感が、謝罪の言葉を吐かせた。
「確かに……誤解を受けるような態度だったかもしれないわ。謝ります」
自分の非を認めて、頭を下げる。
「あ、いや、そんなに畏まられても困っちゃうな」
頭を掻いた達也。拘りのない表情に戻っている。
「…ただ身近でお世話してもらう人くらいは気楽な関係でいたいなって、思っちゃうんで」
「……そうでしょうね」
ベッドの横の、無意味な見舞い品の山を見れば、達也の言葉が深く納得されて。
佐知子は、しみじみ頷いた。
「ま、“お坊ちゃま”稼業も、端から見るほど楽じゃないってことです」
悟ったような達也の言いぐさが、やけにおかしくて、佐知子はクスリと笑った。
「あ、ようやく笑ってくれた、越野さん」
そう言って、こちらも嬉しそうに笑うまではよかったのだが、
「やっぱり、綺麗なひとが笑ってるのは、好きだな」 しれっとそんな言葉を付け加える。
「なっ……」気を緩めていたところへの不意うちに、不覚にも赤面してしまう佐知子。
「ねえ、越野さんの、下の名前はなんていうの?」
「え?」
「いつまでも、“越野さん”なんて堅苦しいし。出来れば、名前で呼びたいな。勿論、僕のことも“達也”でいいです」
「え、でも……」 奇妙な気恥ずかしさが、佐知子を躊躇させる。
「マズいようなら、他の人の前では呼ばないから。教えてよ」
達也は強引で。佐知子も、頑なに拒むのも、おかしなことだと思えて。
「佐知子…越野佐知子よ」
……その夜。越野家。
「今日、宇崎達也が怪我をして入院したって聞いたんだけどさ」
いつも通り、母子ふたりでの夕食の場で、裕樹が持ち出した話題。
「もしかして、ママの病院に入院した?」
「……ええ。そうよ」
「やっぱりそうかあ…」 やや複雑な表情で、裕樹は言った。
宇崎達也の入院という報せに、小気味よいような感情を覚えたが。
すぐに、入院先としては、母の勤める医院が順当なのではと気づいた。
実際、予測のとおりだったと知らされて。
裕樹は、あまりいい気持ちはしない。なにがどうというわけでもないが、母の勤め先に、宇崎達也がいるということが愉快ではなかった。
だが、そんな心情を洩らせば、母に怒られると思ったから、その話題はそれきりになった。
佐知子も、自分が達也の担当になったことを、裕樹に告げなかった。
裕樹の達也に対する感情を慮ったせいでもあるが。それだけが理由でもない。
“どうだった?”と裕樹に訊かれて答えられるほど達也への印象が整理されていなかった。
まさか、“掴みどころがなくて、苦手だわ”などと、率直な気持ちを息子に吐露するわけにもいかないだろう。母としての沽券にも関わる。
なにしろ、相手は中学生、息子の同級生なのだから。
(……裕樹の同級生……そうなのよね……)
それにしても…なんて違うんだろうと、佐知子は差し向かいに座った裕樹を改めて見やった。裕樹は、平均より小柄で顔立ちや雰囲気も幼いほうだから余計に達也との差が際立つ。
(……物腰や言動も、とても中学生とは思えないし……)
……そんなふうに、仕事を終えてからも、佐知子は宇崎達也のことをあれこれ考えさせられてしまっていた。
そして、『綺麗な看護婦さんで、嬉しいなって』フッとした拍子に蘇る、達也の言葉、笑顔。
その度に、鼓動が跳ねて、思考が止まってしまう。
(……まったく。あんな見え透いたお世辞も、御令息としての嗜みなのかしら)
無理やり、毒づくことで、佐知子はなんとか平静を取り戻そうとする。
(……あれさえ、なければね……まったく……)
『綺麗なひとが笑ってるのは、好きだな』
(……本当に、あんな……)
「……どうしたの?ママ」不意に、現実の声をかけられて、ハッと我にかえる佐知子。
「え? なに、どうかした?」
「なにって……急に固まっちゃうから」 訝しげに母を見る裕樹。
「な、なんでもないの。ちょっと考えごと」
「顔、赤いよ。大丈夫?」
「だ、大丈夫よ。なんでもないから」
そう繰り返して、食事を再開する。まだ頬には朱を刷いたまま。
なにやってんだか、と内心で自分を叱咤した。
(こんな調子で……明日から、どうするのよ)
明日になれば、また達也と顔を合わせなくてはならないのだ。
しっかりしなさい、と佐知子は己を鼓舞したが。
奇妙に胸が騒ぐのを、鎮めることは出来なかった。
−4−
翌日。
午後の検診のために、佐知子は特別病室へと向かった。
足取りに、前日のような重さはない。
この日ここまでの宇崎達也との接触は、なんの問題もなく済んでおり、それが、佐知子の気持ちを軽くしていた。
正直、まだ達也の前に出る時には、反射的に身構えてしまうものがあるのだが。
明るく屈託のない達也の態度に、そんな固さを溶かされてしまうのだ。
義理と追従のためだけの見舞い客は、昨日のうちにノルマを果たしてしまって、この日は、ほぼ途絶えていた。
それもあって、時間を持て余す達也は、佐知子が病室を訪れるたびに、大袈裟と思えるほど喜んで、引きとめたがった。
佐知子も、他に仕事というほどのものもない状況であり、ヒマと活力を持て余す患者の無聊を慰めるのも務めのうちと思って、達也につきあった。
これも務めと思って、佐知子は病室に留まり、達也の話に耳を傾け、そして、いつの間にか、職務上の義務感など忘れていた。
達也の話術には、人をそらさぬ巧みさがあり、話題も豊富だった。
佐知子は、ほとんど口を開くことなく、静かに聞き役を務めるのだが、しらずしらずのうちに引き込まれて、達也の大人びた声に聞き入ってしまっていた。
口元には自然に笑みが浮かぶことが多くなり、幾度かは声を上げて笑いもした。
そんなふうに、この日のこれまでの時間を過ごしていたのだ。
まったく、思いがけないほどに平穏で良好な状態といえた。
昨夜、眠りにつく直前まで、落ち着かぬ心で思い煩っていたのが、馬鹿らしくなるほどに。
とにかくこれで、なんとか退院までやっていけそうだ、と。
佐知子は、自身の心の軽さを、職業意識上の理由からだと思っている。
こだわりや先入観という色眼鏡を外して見れば、宇崎達也はなんの問題もない患者だった。
(……あとは、あれさえなければねえ…)
軽い歩みで特別病室へと向かいながら、佐知子がひとりごちた“あれ”とは、達也の例の悪癖のことだった。
この午前中も、達也は会話の中に、いきなり、美貌を賛美するセリフを挿しこんで、佐知子を硬直させたのだった。それも二度、三度と。
さすがに佐知子も、多少は耐性がついて、表面上は冗談として受け流すことも出来るようになったが。
実のところは、毎度毎度、かなりのダメージを受けてしまうのだった
(これがまた、忘れた頃、気を緩めた時に、狙いすましたようにカマされるのだ)。
それに比べれば、すっかり“佐知子さん”と呼ばれるようになったことなど、多少くすぐったいだけで、いかほどでもない。佐知子の方は、
もともと少ない機会の中で、まだ“達也くん”とは呼んでいなかったが。
(本当に……あの悪い癖さえなければ……)
そう内心に嘆息する佐知子だったが。そこに重苦しさはなかった。
……だいたい、“悪い癖”などと呼んでいる時点で、その達也の言動を許容してしまっているということだった。佐知子は自覚していないが。
つまり、現在唯一といってよい担当患者との関係に、佐知子はほとんど問題を感じていないということだった。
わずかな時間で、ずいぶん変わったものだが。構わないと思う。
いずれにしろ、良い方向への変化は歓迎すべきである。
だが。特別病室の前に立って、軽やかなノックの音を響かせようと手を上げて。
佐知子は動きを止めた。
軽快な気持ちは霧散して、表情が強張った。
そうさせたのは室内から漂う、焦げくさい匂い。病院内では嗅ぐはずのない。
間違いない、煙草の匂いだった。
佐知子は、ノックせずに、勢いよくドアを開けた。
窓際に立った大柄な影が、驚いたようにふりかえった。
制服姿の高本だった。斜めに咥えた煙草から紫煙を立ち昇らせている。
室内には、高本ひとりだった。
達也ではなかった…と、安堵の感情が胸をよぎるが、それも一瞬のこと。
佐知子はツカツカと大股に歩み寄って。
キョトンとしている高本の口から煙草を?ぎ取ると、叩きつけるように床に落として、爪先で踏み消した。
「な、なにしやがる!?」
「あなた、中学生でしょう!?」
ようやく高本が張り上げた蛮声を、はるかに気迫で凌駕して、佐知子が叱責する。
「それに、ここは病院です!煙草を吸っていい場所じゃあないのよ!」
「なっ…このっ」
眦を決して、高本を睨みつける佐知子の迫力に、思わずたじろいで。
「ザケんな、ババァッ!」
それが、この不良にとっては耐え難い恥辱だったのか、いかつい顔を赤く染めて、巨体を踏み出し、佐知子の腕を掴んだ。
「なにするの!? 放しなさいっ!」
「うるせえっ!」
身をよじって、振り解こうとするも、ガッチリと腕を掴んだ大きな手はビクともしない。
「や、やめなさいっ、放して!」
凶暴なほどの力を実感して、佐知子の声に怯えの色が混じった。
完全に逆上したようすの高本は、そんな制止を聞くはずもなく、ブンまわすように、掴んだ腕を引っ張った。
「い、いやっ」たたらを踏んだ佐知子の片足から、シューズが脱げ落ちる。
恐怖に、拒絶の言葉が悲鳴に変わろうかという時、
「なにをしてるっ!?」怒気に満ちた声が、騒乱の病室に響いた。
達也だった。
佐知子が開け放ったままのドアのところ。
左手で松葉杖をつき、右肩を市村に支えられて立った達也が、もみ合うふたりを睨みつけていた。
「高本っ!」
再度、怒声を迸らせると、達也はその不自由な体で飛び出した。
市村の手を振り払い、前のめりになりながら、杖と右足で進んで、佐知子と高本の間に体を割り込ませる。
「う、宇崎クン…」
「離せよ、コラッ!」うろたえる高本の腕を、手荒く叩き払った。
佐知子は解放された腕を胸元に抱き寄せながら後退って、茫然と達也を見上げた。杖にあやういバランスを取りながら、自分と高本の間に立ち塞がった達也の背を。
「おまえっ、佐知子さんになにしてんだよ!」
また、凄まじい怒気が咆哮となって叩きつけられる。
これが、あの温厚な達也だろうかと、佐知子が目を疑うほどの苛烈さ。
「い、いや、だって、このアマがさ」
その鬼気に圧されて、しどろもどろに弁解しながら、高本は咄嗟に床の吸殻を指さしたが。
その言葉と行動は、達也の激発を招いた。
「ザケんなっ!」ガスッ、と重たい音が響いて。
達也の右拳を顔面にくらって、高本の巨躯が尻から床に落ちる。
ヒッと、思わず悲鳴を洩らした佐知子だったが、殴りつけた勢いのまま、達也も倒れこむのを見て、
「や、やめなさい!」ようやく制止を叫びながら、達也に飛びついた。
「達也っ」緊迫した声を上げて、市村も駆け寄る。
市村と佐知子の手で抱き起こされながら、高本を睨みつける達也。
「……こんな場所で煙草ふかして。それを注意されたら、逆ギレで、女相手に腕ずくで出るってか?カッコいいなあ、おまえ」
まだおさまらぬ怒りに震える声で、苦々しく吐き捨てた。
高本は尻もちをついた体勢のまま悄然とうなだれて、
「……つい、カッとしちゃって……」 蚊のなくような声で答えた。
「頭に血が昇れば、なんでもアリか? この馬鹿ッ!」
「達也、落ち着け」
「二度と佐知子さんにこんなことしてみろ、俺がっ」
「達也くん、もういいから」達也の二の腕をギュッと掴んで、佐知子が必死に訴えた。
「私も、言いかたがきつ過ぎたわ。だから、もう怒らないで、落ち着いて」
「……………」ようよう昂ぶりを抑えて、達也は佐知子に案ずる眼を向ける。
「佐知子さん、大丈夫だった? 怪我とかしてない?」
「大丈夫よ。別に、なにもされてないし」
「そっか……」力をこめて無事を告げる佐知子に、ホッと安堵するようすを見せて。
「……浩次、そのバカ、連れて帰って」
「わかった」即座に了解して立ち上がりながら、市村は佐知子に眼を合わせた。
「すみません、あとはお願いします」
「ええ」真剣な面持ちで、佐知子はうなずきを返した。
……ションボリと、ゴツい肩を落とした高本が、市村に連れられて病室を出ていくのを見送ってから。
佐知子は、達也に手を貸して、立ち上がらせた。
「大丈夫?」
「うん。すみません」ズッシリとした重みが、佐知子の腕にかかる。
支えようと肩を寄せれば、体の大きさも改めて実感された。
先ほど、高本の巨体に迫られたときの恐怖を思い出す。
だが、達也の大きさを感じることは、恐れではなく不思議な安心感を、佐知子に与えた。
「いい? 歩ける?」問いかける声が、意識せぬままに柔らかくなっている。
「うん、大丈夫」
松葉杖を持ち直した達也が答えて、ふたりは、ゆっくりとベッドへと向かった。
達也の背にまわした佐知子の手に、熱と固い筋肉の感触が伝わってくる。
かすかに汗ばんだ達也の体臭も、この時の佐知子には不快に感じられなかった。
辿り着いたベッドに、ひとまず達也を腰かけさせて、ひと息ついた。
ギブスを巻いたの左足を支え上げて、横たわらせようとした時、
「……てっ」達也が小さく声を上げて、ベッドに突こうとした右腕を浮かせた。
「どうしたの?」
「うん、いや、なんでも…」
「腕が? 痛むの?」
「いや、ちょっと……痺れただけ」
「見せて」
なんでもないと済ませようとするのを許さず、佐知子は達也の腕を取った。
達也の右腕は、肘のあたりに包帯を巻かれている。軽微とはいえ負傷しているのに、この腕で高本を殴りつけたのだ。
真剣な目で佐知子は検分した。見たかぎり異常はない。
「痛むの?ちゃんと正直に答えて」視線を上げ、達也を睨みつけるようにして訊いた。
「手を突いた時、ビリッって…」
「今は? どうなの?」
「痛くはないです。痺れて、力が入らない感じかな」
「そう、わかったわ。すぐに先生に来ていただくから」
「あ、待って」 
医師を呼ぶために立とうとした佐知子の腕を左手で掴んで、達也が止めた。
「大丈夫だから」
「ダメよ。ちゃんと診てもらわないと」
「平気だよ、大事にしたくないんだ。お願い、佐知子さん」
「…………」手首のあたりを掴んだ力は強いものではなかったが。
懸命に頼む達也の顔を見ていると、無理に振りほどくことが躊躇われた。
「……わかったわ」
結局、佐知子はため息まじりに了承して、自由なほうの手を重ねて、
達也の手を、そっと外した。
あらためて、達也を横にならせて。椅子を引いて、ベッド横に座る。
「もう一度、よく見せて」両手で捧げ持つようにして、入念に視診する。
「まだ、痺れがある?」
「だいぶ、治ったみたい。力も入るようになったし」グッグと、掌を握りしめる達也。
筋が攣ったという程度のことだろうか? と、ひとまずの診断を下す佐知子。
佐知子は、白く細い指に力をこめて、達也の腕を押した。
「痛かったら、言うのよ」
やはり、固く引き締まった筋肉の抵抗を感じながら、揉みこんでいく。
「あ……気持ちいいや」陶然とした声を洩らして、達也が眼を細めた。
反応をうかがっていた佐知子は、その艶っぽい表情にドキリとしてしまって、
慌てて手元に目線を移した。
「…………あんな無茶をして」誤魔化すように、怒った口調で言った。
「うーん……やっぱり、ムチャだったかな」
他人事のような達也の口ぶりが、無性に癇に障った。
「当たり前でしょう。 あなたは、怪我をして入院してるのよ?」
「それは、そうなんだけど……。佐知子さんが危ない、って思った瞬間に、頭が真っ白っていうか。完全に逆上しちゃったんだよね」
「…………………」
「気がついたら、飛び出してたって感じで。それで、あのバカがフザけたことを言うから、思わず…」
「……で、でも、あの時、もし彼が向かって来てたら」
「そりゃあ、ヤラれてたよ。一発だね」何故か、愉快そうに達也は断言した。
「腕っぷしじゃあ、五体満足の時でも、高本には敵わないもの」
笑ってる場合か、と佐知子は思うのだが。
「だから、ほんと考えるより先に体が動いてたんだよね、あの時は。…これじゃ、高本のことは言えないなあ」
苦笑する達也の、彼らしくもない猪突の行動が、すべて自分のためだったという事実に、なんと言っていいのかわからなくなってしまう。
「まあ、そんな目にもあわずに済んだし。佐知子さんも無事だったし。結果オーライってことで」
あっさりと話をまとめる達也。
「……本当は、高本に、あの場で謝らせるべきだったんだけど」
「彼のことは、もういいわ」
佐知子の中では、達也と高本を峻別する意識が出来上がっている。
にべもない反応に、達也は渋い顔をして、
「うう……あんなことの後だから、佐知子さんの気持ちはわかるけどさ。悪いヤツじゃないんだよ、あいつも。バカだけど」
いまさら高本を弁護する達也を、佐知子は呆れた眼で見つめた。
何故、達也が、あんな粗暴な不良を、そこまで友達として遇するのか理解できない。
「……達也くん、正直言わせてもらえば」
「ああ、わかるよ」みなまで言うなと、意見しようとする佐知子を制して、
「でも……あのふたり、高本と市村くらいなんだよね。壁を作らずに接してくれるのって」
ちょっと弱い声。わすかにのぞかせた諦念と寂寥が、秀麗な顔立ちをさらに大人びたものに見せて。
……佐知子は、波立つものを胸に感じた。
だが、達也はすぐにそんな翳りを消して、
「でも、本当に、悪いヤツじゃないんだよ。バカだけど。かなり」
熱をこめて、褒めるのだか腐すのだかわからないアピールを繰り返した。
「本当だよ?」
「……ええ、わかったわ」根負けしたように、佐知子は言った。
高本への心証は、すぐには変えられるはずもなかったが。
「達也くんの気持ちは、よくわかったから」
数少ない友人に向ける達也の想いは、充分に理解できたから。
白い歯を見せて、達也が嬉しそうに笑った。
目を細めたくなるような眩しさを佐知子は感じる。
「……ねえ? ようやく、達也って呼んでくれるようになったね」
「え? …そう…そうね」
言われて、気づいた。いつの間にか、そう呼んでいた。
口にしてしまえば、どうということもない。“宇崎くん”などという呼びかたよりも、ずっと口に馴染む気がした。
これだけのことに喜ぶ達也を見ると、もっと早くそうすればよかったと思えて。
そして、佐知子は、もうひとつ、まだ言えずにいる言葉に気づいた。
まだ言っていない、しかし、言わなければならない言葉。
達也の右腕の包帯のあたりに、指先をあてて。
うん? という顔になる達也に眼を合わせて。微笑む。
「……今日は、ありがとう。達也くん」
夜。
越野裕樹は、昨夜以上に頻繁に、ボーッと考えこむ姿を見せる母の姿に、どうしたのだろう?と首をひねったが。
ささやかな異変の理由、母の物思いが向けられる対象のことなど、無論、しるよしもなかった。
同じく夜。
広い病室にひとり過ごす宇崎達也は、開け放った窓のそばに置いた椅子に座っていた。
片手には携帯電話を持ち、もう一方の手には高本の置き忘れた煙草が一本はさまれている。
一服吸って、窓の外に煙を吐き出しながら、達也は顔をしかめて、電話の向こうに文句をつけた。
「高本、これ、強すぎ。こんなもん吸ってたら、成長が止まるぞ…って、それ以上大きくならなくてもいいか」
『でも、今日の宇崎クンのパンチで、ちょっと縮んじゃったよ。マジで殴るんだもん』
通話の相手、高本の大声は電話越しでも変わらず。そのハシャいだ調子には、病室を追われた時の消沈ぶりは、1ミリたりとも残っていなかった。
『痛いし、カッコ悪いし、やっぱ役が良くないよ、俺』
「とか言って、ちゃっかり佐知子の体、触ってたんだろ?」
『ダメ、宇崎クンたち、入ってくんの早すぎんだもん。あれじゃ、殴られ損』
「まあまあ。おかげで、グッといい感じになったからよ。いまは堪えて、いずれ思いきり佐知子にブツけてやれよ」
『もち、そのつもりよ!今日ので、ますます燃えたよ、俺は!越野ママ、近くで見ると、マジいい女だったし、いい匂いしてたし』
「なんだよ。結局役得してんじゃないかよ。ああ、わかったから浩次に代わって」
『……もしもし』
「かなり、効いたみたいよ、今日のは。ちょっとクサイかと思ったけどさ」
『まあ、まさか、中学生に狙われてるとは、思いもしないだろうからね』
「思わないよなあ。…もっとも、あまり中学生を見るような眼でもなかったけどな。今日の芝居のあとは、特に」
『フフ…、年のわりにウブなんだな、越野のママ』
「そう。あんまり可愛いんで、マジ惚れしちゃいそうだ」
『嘘こけ』
「うん。嘘」ケラケラと笑って。達也は短くなった煙草を弾き捨てた。
翌朝になって、佐知子は前日の自分の甘さを強く後悔することになった。
朝食をとる達也の挙措がどうもおかしかったので、問いつめたところ、また右腕に違和感があると白状したのだ。
やはり、昨日達也の請願を容れてしまったのは失敗だったと悔やみながら、佐知子は直ちに医師の診察を求めた。
静かだった特別病室が、にわかに緊迫した雰囲気となった。
だが、細心をはらった診察と検査の末にも、異常は見つけられなかった。
原因について訊かれた達也は、前日トイレに立とうとした際、バランスを崩してベッドに強く手をついた時に痺れるような感覚があったから、それではないかと答えた。他には、思いあたるふしもないと。
ヌケヌケとした虚偽の申告に、佐知子は口を挟まなかった。
高本と、そして自分に対する達也の気遣いだと理解したからだ。
結局、異常は一時的なものだろうという判断がなされ、事態は落着した。
しかし、些細とはいえVIPの身におこった異変に、病院側は神経質になって。
佐知子は、さらなる管理の徹底を厳命された。つまりは、出来うるかぎり、達也のそばに引っついていろということだ。
自身の責任と落ち度を痛感していた佐知子に、異存はなかった。
「やれやれ」疲れた顔で、達也が嘆息した。
医師や他のナースたちが去って、ようやく静けさを取り戻した病室。
「やっと、ふたりっきりになれたねえ、佐知子さん」
「バカなこと、言ってる場合じゃないでしょう」
キツい口調で佐知子はたしなめたが。そのやりとりは、妙に呼吸が合ってもいる。
「やっぱり、昨日のうちに見てもらうべきだったのよ」
「佐知子さんは悪くないよ。僕が無理に頼んだんだから」佐知子の自責を遮って、
「それに、結局異常はなかったんだし。ま、予想外に高本のツラの皮が厚かったんで、痺れたってことだね」
「……すぐ、そうやって冗談にするんだから」
諦めたように嘆息する佐知子。医師の診察でも異常が見つからなかったことに、一応、安堵してもいたから。気楽すぎる達也への言葉も、責めるというより恨むような調子になっていた。
「原因についてだって。本当のことを言わずに、あんな嘘を」
「まあ、いいじゃない」至極かんたんに片付けて。それから達也は悪戯っぽく笑って、
「……これで、ふたりだけの秘密が出来ちゃったね。僕と佐知子さんの」
わざとらしく声を潜めて、そう言った。
豊かな胸の下に腕を組んで、佐知子がついた溜息も、
「……本当に、達也くんといると、いろいろと経験したことのない目に遭わされるわ」
しみじみと零したセリフも、達也に合わせるように、どこか芝居がかっていた。
「刺激があるでしょ?」
内心で、佐知子の言葉にハゲしくウケながら、澄ました顔で尋ねる達也。
少しだけ、眼に力をこめてみる。
途端に、はるか年上の女は動揺をあらわに、慌てて眼を逸らして。
「刺激は必要ないの。病院での生活にそんなものは」
早口に。怒ったように、そうきめつけた。ほんのり頬を赤く染めて。
(そう言うなよ。これからじゃないか。刺激的になるのも。いままで
 経験したことのない目に遭うのもさ)
まずは…と、達也は、笑顔の仮面の下で策謀する。下劣な手管を考えるのは本当に楽しい。
−5−
その午後。
ナース・ルームに佐知子の姿があった。
ほぼ完全に特別病室専属になった佐知子だが、それでも、主任看護婦としての本来の仕事のすべてを免除されたわけではなかった。
日に数度は、このような形で部下のナースたちの報告を聞き、指示を与える必要がある。
越野佐知子主任看護婦は、この病院の看護体制の要であり、絶対不可欠な存在なのだ。
その威令は行き届いて、ピンと張り詰めた空気の中、佐知子は次々と現場の報告を受け、的確な指示を返していった。
打ち合わせが終わると、佐知子は真っ先にナース・ルームを出た。
現在の自分の持ち場である特別病室へと直行する。
気が急いていた。それは上からの指示が理由ではなく。
佐知子自身が、極力達也のそばにいてやりたい気持ちになっている。
それは佐知子自身の気持ちだが、あくまで看護婦としての心情だ……と、佐知子は思っている。思おうとしている。
とにかくも、急ぎ足に佐知子は達也の待つ病室へと帰り着いて。
軽いノックのあとにドアを開けようとした時、昨日の午後のことが一瞬脳裏をよぎった。そもそもこのドアを開けるたびに、なにがしか驚くような事態と遭遇している気がする…。
「達也くん?」果たして、というのか、部屋に入った佐知子は、軽く慌てることとなった。
達也が、松葉杖をついて、ベッドから立ち上がろうとしているところだった。
「なにをしているの?ダメよ」佐知子は駆け寄って、危なっかしい達也を支えた。
達也には、付き添いもなしに歩こうとはしないでくれ、と言い渡してあった。
達也も、それは了承してくれたはずなのに。
「あ、佐知子さん」
「ダメよ、ひとりで動いちゃ」ひとまず達也を座らせて、
「どうしたの? どこに行こうとしてたの?」
「あ、いや……トイレに」
「トイレ? 大きいほう?」
このあたり、看護婦らしいというのか、衒いがない佐知子である。
「いや、小だけど」
「だったら……」佐知子は納得いかないようすで、床に視線を向けた。
ベッドの脚元に、清潔な尿瓶が置かれてある。昨日までは、達也も拘りなくそれを使っていたのに、と。
「いや、なんか、汚しちゃいそうな気がしてさ。コレって、結構使い方ムズかしいし。いまは、手元がね、ハハ」
苦笑いする達也の言わんとするところを、佐知子は理解した。
利き腕が不満足な状態では、その心配ももっともだとは思ったが。さて困った。
特別室、専用のトイレも備えられてはいるが、なにしろ部屋が広いから、佐知子ひとりの支えでは、辿り着くのもひと苦労である。
佐知子が戻るのを待てなかったのだから、達也も切迫しているのだろうし…。
そわそわと落ち着かないようすの達也を見て、あれこれ考えている暇もないと、佐知子は決断した。
「いいわ、私が手伝ってあげるから」
「えっ!?」驚愕する達也をよそに、しゃがみこんで尿瓶を取る佐知子。
……達也の驚きの内実は、あまりに呆気なく狙い通りの展開に持ち込めたことに対してのもので、会心ともいえるものだったのだが。
「さ、脱いで」
佐知子は、達也の躊躇は気恥ずかしさからだと、ごくまっとうに受け止めているから。
こういう時は機械的な対応をしてやったほうがいい、と。
つまり、この時佐知子はまったく看護婦としての意識で動いており、おかしな気持ちなどカケラもなかった。
長くナースをやっていれば、このようなことも、そう珍しくもない。
それこそ子供から年寄りまで―見慣れているとまでは言わないが。
「どうしたの?もう我慢できないんでしょう?」佐知子は、達也を急かした。
白タイツの片膝を床について、ムチッとした太腿を半ば覗かせた艶姿ではあるが、片手に持ったガラスの尿瓶が、なんとも艶消しだった。
「恥ずかしい?」それでも動かない達也を見上げて、佐知子は訊いた。
この時の佐知子に、私情があるとすれば、それはちょっとした復讐心のようなものだった。
ここまで、さんざん自分を翻弄してきた達也が見せる、思春期の少年らしい恥じらいに、溜飲を下げる気持ちが確かにあった。
……これで、もうあまり大人ぶった口もきけなくなるでしょ。
担当ナースとして年長者として、本来握っているべき主導権を奪えるという計算もあった。
さらに言えば。
これで、自分の中の不可思議な情動を払拭できるという思いも、心理の底にはあったかもしれない。年相応の、子供らしさを、達也の中に見出せば……。
達也は動こうとしない。
押し黙ったまま、俯いて、佐知子から表情を隠すようにしていた。
「……もう」
世話がやけるんだから、という気ぶりを大仰に表して、佐知子は一旦尿瓶を置いた。
(……それにしても、案外ねえ)
急に可愛らしくなってしまった達也を、おおいに意外に感じながら、両手で達也のパジャマの腰を掴んだ。手順はなるべく省くべし、と指先をパジャマと下着に同時に掛ける。
「ハイ、脱がせますよう」
さすがに感じる、わずかな気まずさを誤魔化すようにそう言って、エイヤと、一気に引き下ろした。
かすかに蒸れたような匂いが立って、達也の股間があらわになる。
ごく自然に、そこへと目を向けて。
……佐知子の余裕の色は、そこまでだった。
「……っ!?」
パジャマと下着を膝のあたりまで引いた体勢のまま、佐知子は固まってしまった。
驚愕に見開いた眼で、一点を凝視する。
裸にされた達也の股間、引き締まった両の太腿の間に、デロンと現れ出た達也のペニスを。
(……なに、これ?……こんな……)
最前までの達也の恥じらいぶりから、子供らしい未熟な性器を予想していたのだ−裕樹のような。それは完全に外れた。
達也のペニスは、佐知子が目を見張らずにはいられないような、威容を誇っていた。
それは、力を得た状態にはなっていない。ダラリと横たわったままだ。
なのに、その太さ長さは、勃起した裕樹のペニスを凌駕しているのだった。
とても、中学生の性器とは見えなかった。
「どうしたの?」
不意に、頭上から声を掛けられて、佐知子はハッと我にかえった。
達也は、妙に冷静な、観察するような眼で佐知子を見下ろしていた。
「僕のって、なにか、おかしい?」
「え? い、いえ……そんなこと、ないわよ」
「そう?佐知子さん、急に固まっちゃって、ジーッと見てるからさ。どこか変なのかなって、不安になっちゃった」
「そ、そんなことは……」
赤面して佐知子は否定したが。曖昧なうえに尻すぼみになってしまうのは。
正直、この大きさは尋常ではないだろうと思えたし、その驚きに、マジマジと凝視してしまったことも事実であったからだ。
もう、とにかくさっさと済ませてしまおうと、尿瓶を取って、
「さあ、採尿しましょう」事務的な口調に、平静を装ったつもりになっても、
「なんだか、検査みたいだな」
ノホホンとした達也の呟きで、場違いな言葉を使った自分に気づかされる。
動揺から立ち直れないまま、とにかく早くことを済ませてこの状況から逃れようとする佐知子。
尿瓶の筒先を達也の股間へと差し出して。
もう一方の手を、おずおずと達也の男性へと伸ばした。
触れる直前で、指先が迷う。
(……若い娘じゃあるまいし)
いい年をしたナースが、中学生の患者を相手になにをしてるのかと自分を叱責して。息をつめるようにして、ようやく掴んだ。
グニャリとした肉感。生温かさ。
(……これが、達也くんの……)奇妙な感慨が胸にわいて、無意識に指に力をこめていた。
柔らかな弾力。硬さはなく、熱もない。
つまり、達也の男性は平穏な状態だった。見たとおりに。
それにしては……この量感はどうだろうか。この逞しさは。
(……これで……勃起したら……?)
どれほど……と想像してしまって、ゾクリと背筋を痺れさせてしまった。
佐知子とて、生身の、それも熟れきった肉を持つ女だから、無理もないかもしれないが。
(……なにを考えてるの)
これは性的な戯れではない。そんな対象にしていい相手でもない。
どうして、そんな解かりきったことを、何度も言い聞かせねばならないのかと。
情けなさを感じながら、佐知子は本来の作業に立ち戻った。
握った達也の肉体をもたげて、先端部分を尿瓶の口に挿し込む。
「いいわよ。出して」
「はい」殊勝げにうなずきながら、実のところ達也は必死に笑いを堪えていた。
(“いいわよ”じゃないっつーの。両手に尿瓶とチンポ持って、気取ってんじゃないよ)
だいたい、たったこれだけのことに、ずいぶん時間がかかったじゃないか…と、
佐知子のおたつきぶりを哂う。まあ、ブッタマげて、ボーッとなって、オロオロして、ビビって、それを隠そうとして少しも隠せない、という佐知子の狼狽ぶりは、おおいに愉しませてもらったけども。
差し迫った尿意は本物であったから、達也は膀胱の緊張を緩めた。
ジョボジョボと、いきなり激しい勢いで放水を開始する。
フーッと解放感にひたる表情は、演技の必要もなかった。
(……なかなか、オツだな。これも)
チンポコまで人に持たせて放尿している状況を、平然と愉しむ。
しかも足元に膝をついて排泄の世話をしているのが、いかにも自分好みの年増美女で、熟れきったムチムチのボディをナースの白衣に包んでいるというのだから……かなり、イイ。
少しヒンヤリとした指の感触も、なかなか。
(……そういや、高本が“肉便所”とか言ってたっけな)
それもいいかも、と思った。うん、是非やってみよう。いずれ。
こんな無粋なガラスの容器じゃなくて、佐知子自身を尿瓶にするのだ。
無論その頃には、佐知子は喜んでその役目を務めるようになっているわけである。
自分から、その色っぽい唇でチンポに吸いついて。
達也の出すものなら小便でも精液でも、ゴクゴク喉を鳴らして美味しそうに飲みほすのである。
それは達也の中では、既に確定した未来だった。それも、そう遠くない。
そうなることを、達也は少しも疑っていなかった。
(チョロい)それが、ここまでの経過から下した佐知子への評価だ。
人が善いというのか、年のわりにおぼこいというか。
これほどスキだらけで、こっちの思惑通りに動いてくれる女も珍しい。
しかも、顔や身体は、これまでモノにした女たちの中でも最上等だ。
(やっぱ、これって“運命の出逢い”ってヤツだよなあ。なあ、佐知子?)
……つまりは、自分と出逢って愛玩物にされることこそが、佐知子の定められた運命だったというのである。
別に、冗談のつもりはないのだった。達也には。
佐知子は息をつめて、達也の排尿のさまを見守っていた。
完全に剥け上がった亀頭の先から放出される金色の太い水流は、まさに怒涛といった激しさで、佐知子の構える尿瓶の底を叩いている。
その凄いほどの勢いが、若い男の旺盛なエネルギーの発現と思えて、佐知子は圧倒されてしまうのだった。
放出に合わせて、図太い肉茎の下腹が膨れ上がるの感じた。
指が焼けついてしまうような錯覚。
やがて、奔流がようやく勢いを弱めていき、長い放尿が終わる。
佐知子は、半ば以上満たされてズシリと重たくなった尿瓶を、そっと床に置いた。
サイド・テーブルからウェット・ティッシュを取って、達也の先端を清める。
そして、達也の肉体から手を離した。
「ああ、スッキリした。ありがとう、佐知子さん」
実際、爽快な表情で達也が礼を言った。照れや恥じらいの色は少しもない。
「い、いいのよ」何気なさを取り繕って、佐知子は答えた。
まだ達也の肉体の感触が残る左手を、やり場に困るようにさ迷わせながら。
「……ず、ずいぶん我慢していたのね。よくないわよ」
どうにかナースらしい言葉を出して、達也の着衣を直すため手を伸ばす。
脱がせるより穿かせるほうが難儀だった。どうしても体を寄せるかたちになる。
達也は素直に佐知子の手に任せていたが。佐知子は、脱がせた時のように子供を扱っている気分にはならなかった。優位を感じる余裕はなかった。
ほのかに嗅ぐ達也の体臭に、息苦しさを感じる。
軽い体の接触が過剰に意識されて、腰を引いてしまう。
達也は、熟れた女の匂いと、かすかな肉感を堪能しながら、不自然な体勢でモタモタと作業する佐知子を冷徹に観察していたが。
「面倒っていうか、手間がかかるから、つい我慢しちゃってたんだよね」
少しも邪気を感じさせない口調で、そう言った。
ようやくことを終えて、佐知子が体を離す。
「ダメよ。今度からは遠慮せずに言うのよ?」
もう目のやり場に困ることもないと安心しながら、条件反射的に看護婦としての言葉を口にしたが。この話の流れだと、
「また、お願いしてもいいの?」ということになってしまう。
「え……い、いいわよ、勿論」立場として、そう答えるしかなかった。
達也を横にならせてから、使った尿瓶を手にトイレへと向かった。
タップリと溜まった尿を捨てて、尿瓶を処置する。
作業を済ませて、手を洗おうとして。
蛇口からの水流に伸ばしかけた手を、ふと止めた。
「………………」
ジッと見つめたのは、達也の肉体に触れていたほうの手だった。
佐知子の表情がボンヤリとしたものになる。なにかを…思い出しているかのような。
ゆっくりと。もたげた手を顔の前にかざした。
軽く曲げた指先に鼻を寄せる。
瞼が半ば閉じられ、かたちの良い鼻孔がヒクリと窄められた。
ほんのりと、達也の匂いが嗅ぎ取れたように思えた。
佐知子の白皙の頬に朱がさして、僅かに覗く瞳には酔ったような色が浮かぶ。
もう一度、深く臭気を吸おうとした時。
佐知子の眼に、洗面台の鏡に映った己が姿が映った。
頬を染めたノボセ顔で、小鼻をヒクつかせて、自分の指先を嗅ぐ姿が。
(……っ!?)一瞬に理性が蘇って、今度は羞恥に顔が赤くなる。
「なにを……してるのよ」
声に出して自分を詰って、流しっぱなしの水に手をつけて乱暴に洗った。
本当に、なにをしているのかと思う。
突発的な自分の行動が理解できなかった。
「どうかしてる……私……」呟きは、どこか頼りなく、力弱かった。
−6−
その夜。
寝巻姿で母の寝室の前に立って、裕樹はしばし逡巡した。
就寝の時間になって、母の部屋を訪れる理由など決まっている。
ただ前回の情事から、三日しか経っていないことが、裕樹を躊躇わせるのだ。
相姦の関係がはじまって半年あまり。最近では、母との秘事は、週一回というペースに落ち着いている。特にはっきりとした取り決めがあるわけではないが。だからこそ、自然に出来上がった安定を乱すことには抵抗があった。
だが、裕樹は意を決して、ドアを叩いた。
あえて今夜来たのにも、裕樹なりの理由はあったから。
「……ママ」
佐知子は、いつものようにローブ姿で鏡台に向かって、洗い髪を梳かしていた。
鏡越しに、部屋に入ってきた裕樹を見て、少し驚いた顔でふりかえった。
やはり、今夜の来訪は予期していなかったようだ。
「ママ、いいかな?」いつもどおりの言葉で、許しを求める裕樹。
「…………いいわよ」わずかに間を空けて、佐知子は答えて、立ち上がった。
ホッと緊張をといて、裕樹は急いた動きで脱ぎ始めた。
明かりを落として、白く豊満な裸身をベッドに横たえて。
裕樹を胸に抱き寄せながら、
「……どうしたの?」
と、佐知子が訊いたのはやはり常より短い間隔で求めてきた裕樹が意外だったからだろう。
さっそく、母の柔らかな肉房に吸いついていた裕樹は、一旦、口を離して。
「……ママ、ちょっと様子が変だったから…」
「変? ママが?」
「うん。なんだか、ボーッとしちゃってて。しょっちゅう考えこんでるし。ここ、二、三日、そんな感じじゃない?」
「……そうだったかしら?」
「そうだよ。だから僕、疲れてるのかな、とか。なにか悩みがあるのかなって」
「……それで、心配して? 来てくれたの?」
「……う、うん…」
佐知子の声が柔らかさを増して、胸元の裕樹の顔を覗きこむようにする。
裕樹は気恥ずかしそうに眼を伏せた。
「ありがとう……裕樹が優しい子で、ママ、嬉しいわ…」
裕樹を抱いた佐知子の腕に力がこもる。
深い安堵が裕樹を包む。そうすると、今度は拗ねたような言葉が口をつく。
「ホント最近のママ、調子がおかしいよ。僕が話しかけても聞いてないことが多いしさ。夕食の時は、お互いにその日あったことを話そうって決めたのママじゃないか。なのにさ」
結局、その愚痴めいた言葉にこそ、本音があらわれている。
つまりは裕樹は、最近の母が、どこか心ここにあらずといった感じで、自分に意識を向けてくれていないようすなのが、甚だ不満であり不安であったのだ。
「ごめんね」素直に佐知子は謝った。
実際、裕樹には悪いことをしてしまったという反省がある。
駄々をこねているだけ、とも言える裕樹の言葉も不快ではなかった。
(だって……まだ子供だもの、この子は……彼とは違う……)
だから、甘えるばかりでも仕方ない……。
佐知子は宥めるように髪を撫でて“甘えるばかり”の息子を受け入れる。いつものように。
“仕方ない”などと呟いた、自分の心の変化には気づかぬまま。
「いま……仕事で、いろいろ考えなきゃならないことがあって」
「そうなんだ」曖昧に過ぎる佐知子の説明にも、簡単に納得する裕樹。
職場では重責を担う母であり、大変な仕事なのだとは理解しているから。
「大変なんだね。あまり無理はしないで」
労いにも心配にも嘘はない。心からの言葉だったが。
一方で、“ちゃんと僕を見て”という訴えは果たされていたので、いま裕樹の意識の半ばは、掴みしめた母の乳房に奪われている。
こんなところも子供だ…と、佐知子は苦笑しながら、
「疲れたママを、慰めてくれる?」冗談めかして、息子を促した。
「う、うん」即座にうなずいて、裕樹は豊かな乳房の先端にカブりつく。
「フフ……」
馴染みの、ジンワリとした、もどかしい快感を味わいながら、佐知子は、息子の華奢な腕を撫でていた手を下腹部へとすべらせた。
すでに、ピンピンに屹立して、佐知子の太腿を小突いていたペニスを握りしめる。
夢中で乳房を吸いたてながら、裕樹が快美にフンフンと鼻を鳴らす。
「……………」いつもどおりの戯れ…のはずだったが。
裕樹の未熟なペニスに絡む佐知子の指の動きは、いつもの、じゃらし、くすぐるようなタッチとは違っていた。
握りしめたものの大きさ、かたち、量感を計るような手指の動きになっている。
「……マ、ママッ?」
ギュッと、強く握られて、裕樹が悲鳴のような声を上げて、母の顔を見上げた。
「……………」
佐知子は、わずかに細めるようにした、焦点のボヤけた眼を宙に向けていた。
なにか…記憶を呼び起こしているような表情。
そして、もう一度、すっぽりと掌に収まった小さなペニスを握りしめた。
「マ、ママ、僕、もうっ」
いつにない強い愛撫(?)に、たちまち切羽つまった裕樹が泣くような声を洩らす。
佐知子は、二、三度瞬いて、ハッキリとさせた眼を、悶えている裕樹に向けた。
「もう我慢できない?」
「う、うん」
「そう」妙に冷静な声で佐知子は言って、身体を起こした。
枕元からコンドームを取り出すと、手早く、裕樹に装着する。
「いいわ、いらっしゃい」
再び仰臥して、ムッチリとした両の太腿を広げて、息子へと身体を開いた。
「ママッ!」
裕樹には、母の微妙な違いも、常より簡略化された手順にも、こだわる余裕はなく。
精一杯に勃起させて、はや先走りにヌラつくオチンチンを握りしめて、
柔らかな肉の上へと乗りかかっていく……。
……やがて、というほどもない、ほんの十数分ほど後。
いつも以上に短く呆気ない情交を終えて。
満足した裕樹は、すでに眠っている。佐知子の腕の中。
その幸福そうな寝顔を、佐知子は眺めている。
それはいつもどうりの、母子の絵図。
「……………」
だが、佐知子の顔には、いつもの慈母の微笑は浮かんでいなかった。
いつものように、我が子の欲望を受け止め、満たしてやれたことへの充足感はある。
あるけれども……それはとても弱く小さいものだった。
代わりに、やるせないような息苦しさがあった。最近の裕樹との情事の後に決まって感じていたものだが……今夜はこれまでにないほど強かった。
ふと、切なげな溜息が洩れた。裕樹が寝ついてから、すでに何度目かの。
横臥の姿勢で、上掛けを高く盛り上げた腰がモゾモゾと蠢く。
裕樹を抱いていなければ、寝返りを繰り返しているところだ。
それでも、寝つけるとは思えないけれど……。
一向に訪れない眠気に、目を瞑るだけ無駄な気がして。
佐知子は、まんじりともせずに、時計の音と裕樹の寝息を聞いていた。
次の日。
「あれ?」なにかに気づいたようすで、達也が佐知子の顔を見直す。
病室、朝の挨拶を交わした後に。
「……なに?」何気ないふうを装って、佐知子は聞き返したが、
頬のあたりに微妙な緊張が滲んでいた。
ジッと見つめてくる達也の視線を避けるように、眼を伏せる。
「いや、いつもと感じが違うなって…」
「そ、そう?」とぼける言葉が、自分でも空々しいと思った。
無論、達也のいう印象の違いの理由は、佐知子自身が一番よくわかっていた。
メイクだ。
仕事柄もあって、いつもはほんの申し訳程度の薄い化粧しかしていない佐知子だったが。
比べて、今朝はずいぶんと入念なメイクが施されている。
それは、佐知子としては、いたしかたない処置だった……朝、鏡に映した自分の顔を見て、佐知子は暗い気持ちになった。
目の下にクッキリと刻まれた隈。前夜の寝不足の痕跡だ。
ひどく目立っているように、佐知子には思えた。
仕事柄、急な徹夜なども珍しくはない。重篤な患者の担当となって、何日も短い睡眠で過ごすこともある。ただ、これまでは、そんな状況で自分がどんな顔をしているかなどと気にしたことはなかった。
だが、この朝には、どうしても、その些細な痕が気になって看過することが出来なかった。
いつもよりはるかに長い時間を鏡台に座って、日頃使っていないファンデ等も引っ張り出して、佐知子は忌々しい隈と格闘した。
どうにか納得できる仕上がりを真剣な目で確認した時には、もう出勤時間ギリギリだった。
仕上げに口紅を引こうとして、いつもの地味な色の口紅を唇にあてた。
だが、それは今日のメイクには合っていなかった。
少しの逡巡のあとに、佐知子は口紅を換えた。これもほとんど死蔵していた、鮮やかな発色のルージュを取って、慎重に肉感的な唇の上に滑らせた。
塗り終えて。ルージュを置いた。
あらためて、鏡に映った顔を眺めた。
見違えるような自分がいた。
悪くない…と、佐知子は相応の満足を感じた。そんなふうに、女性らしいナルシシズムを胸にわかせたのは、ずいぶん久しぶりの気がした。
出勤すると、顔を合わせた部下たちは一様に目を見張り、そして口々に佐知子の美貌を褒めそやした。
それにもグッと気分をよくして、ようようと達也の病室へ向かった佐知子だったが。
「………………」
いま、こうして、不躾なほどの達也の視線に晒されていると、高揚は消えて、
不安が大きくなってくるのを感じる。
(化粧が厚すぎたのではないか?)
(あまり慣れないことだから、メイクがおかしかったのではないか?)
(年もわきまえずに派手づくりをして…と、呆れられているのではないか?)
実際には達也が言葉を途切れさせて、しげしげと佐知子を見つめていたのは、ほんの数秒のことであったが。審判を待つような心理になっている佐知子にはとても長く感じられた。
だから、達也がニッコリと笑って、
「いいね。こういう佐知子さんも、すごく素敵だよ」
惜しげもない賞賛を与えたると、深い安堵に体の力が抜けていった。
フーッと、思わず深い息をついたのは、いつの間にか呼吸さえ止めていたようだ。
大仰な滑稽なほどの自分の反応を、顧みる余裕も佐知子にはなかった。
そんな佐知子を、達也は(内心はどうあれ)眩しそうに見つめて、
「……佐知子さんて……本当に綺麗だよね」深い実感をこめて、そう言った。
「そう? ありがとう」
佐知子は、数日の達也との付き合いで身につけた軽い返答で切り抜けた…つもりだったが。
声は微妙に上擦っていたし、頬には赤みが差していた。
羽が生えたように心が浮き立つのを、佐知子は感じていた。
自分でも滑稽だと思えるほど、達也の賞賛が嬉しかった。
「もともと、佐知子さんは、化粧なんかいらないくらいに綺麗だけど」
達也はウットリと佐知子を見つめながら、さらに賛美の言葉を続けた。
歯の浮くようなセリフを、そうとは感じさせない、彼一流の技術を駆使して。
「そんなふうにキッチリとメイクすると、なんだか、ドキッとしちゃうくらいだね」
例によって、中学生らしくない弁舌の裏に、どんな意図を隠していようと。
達也は、嘘をつく必要は少しもなかった。
日頃は地味な化粧でボヤかしていた美貌を、惜しみなくさらけ出したという印象を抱かせる、今日の佐知子だった。
特に、アクセントをつけられた眼元と、鮮やかな紅色に彩られた唇には、ゾクリとするような色香が漂っている。まさに熟した女ならではの艶めきだった。
……だが。そんな大人の艶色を漂わせる美熟女ナースは、はるか年下の少年の言葉と視線に、頬を赤らめ、もじもじと、まるで小娘のような恥じらいのさまを演じていた。
そんな佐知子を、達也は嵩にかかって攻めたてる。極上の笑顔を浮かべたまま。
「…うれしいな」
「……え?」
「だって、僕のためにしてきてくれたんでしょう?」
「そ、そんなことは…」
「そう? でも、いま佐知子さんって、ほとんど一日中この部屋にいるわけだし」
「それ…は……」
「だから、今日の変身ぶりも、僕に見せるためにしてくれたのかなって、思ったんだけど」
「……………」
達也の言うとおりだった。
佐知子が、誰の目を意識していたかといえば、相手は達也しかいない。
朝、醜い(と、佐知子には思えた)隈を、鏡に映した自分の顔に見つけた時。
決して、このまま出勤することは出来ないと思った。
正しくは、“こんな顔で、達也の前には出られない”と思ったのだ。
自身の心理の真実を、ハッキリと佐知子は思い知らされた。
達也を幻滅させたくなかった。いや、達也に幻滅されたくはなかった。
それは単に、見苦しい顔を見せたくない、というだけではなくて。
たった一夜の寝不足の影響が覿面に表れてしまう…そんな年齢であることを若い達也に意識されたくなかったのだった。
それは、佐知子の“女”としての感情に違いなかった。
つまり、佐知子は達也を、ひとりの“男”として認識しているということだ。
“患者”や“子供”としてではなく。
自分の肉体の衰えの印を見せたくないというのも、女の媚びだ。
無意識の、消極的なものではあっても。若い男に対する中年の女の媚びであることは間違いない。
…この時点では、佐知子は、そんな己の感情の機微を完全には把握していなかったが。
「……ちょっと、気分を変えたくて……」
ありのままを告げたくない気持ちは確かだったから、曖昧な、ありふれた釈明に逃げる。
「ふうん。なにか、気分を変えたくなるようなことがあったの?」
「別に……そういうわけじゃないけれど」ジワリと。他意のない調子で。
達也は佐知子を追いこんでいく。
鼠をいたぶる猫の愉悦は、穏やかな笑顔の下に隠したまま。
「そう? それじゃあ……」達也は、軽く眉を寄せて、考えこむようすを見せる。
佐知子は立ち竦んで、達也の次の言葉を身構えて待っているような状態だった。
「じゃあ……逆かな?なにか気持ちの変化があって、それに合わせてみたくなったとか?」
「気持ちの…変化?」
「なにかあった? 最近、心境を変えるようなことが」
「さ、さあ? なにも、ないと思うけれど」
「本当に? なにもない?」慌てたように否定する佐知子を、達也は見据えた。
笑いを消した、生真面目な表情。
まっすぐな視線に捉えられて、佐知子は硬直した。
「僕は…あったよ」低い、深い声で達也は言った。
「とても、大きな変化。すごく、大事なことだ」
「……………」チリリ、と。おくれ毛が逆立つような感覚を佐知子は覚えた。
危険信号。ひどく危うい方向に、話が流れてしまっている。
最初は、化粧などという、なんでもない話題だったのに…。
「いままで、知らなかった気持ち。それが、僕に生まれた変化だ」
これ以上…達也に語らせてはいけない。それはわかっているのに。
声が出ない。
達也の澄んだ瞳に呪縛されている。
「わかるでしょう?」
「……………」佐知子に出来たのは、かすかに首を横にふることだけだった。
それで否定を示すことが出来たとは、自分でも思わなかったけれど。
「わからない?本当に?」達也の声が、少しだけ悲しげな響きを帯びる。
キリリと、佐知子は胸に痛みを感じて。
「わ、わからないわ」その反動でだろうか、ようやく弱い声を絞り出すことが出来た。
本当に、わからない。達也が、あまりにも真剣だから。
いつもの洒脱さも明るさも消してしまって、怖いほどの力をこめた眼で見つめてくるから。
本当に、心の真実を告げようとしているふうに見えるから。
だから、わからない。
まさか……そんなはずはないから。そんな……。
しかし。
「佐知子さんだよ」しごく簡単に。達也は、その名を口にしてしまった。
「僕、佐知子さんが好きだよ」まさか、と佐知子が打ち消した、その言葉を。
佐知子は眩暈を感じて、数瞬、目を閉じた。
「……も、もう。達也くんの冗談って、けっこう心臓に悪いのよね」
どうにか苦笑らしき形に口元を引き攣らせて、無理に笑い飛ばした。
声は震え、擦れていたけれど。
非礼とも言える佐知子の反応にも、達也は表情を変えることなく、
「……まあ、あくまでも、僕の勝手な想いだからね。佐知子さんの返事は、保留されたと受け止めておくよ」
「ほ、保留って、達也くん」慌てて反駁しけかた佐知子だったが。
照れることも恥じることも必要ないとばかりに、堂々と見返してくる達也に、なにか後ろめたい気持ちになって、言葉を詰まらせてしまった。
「………………」佐知子が気弱く眼を伏せてしまったので。
ふたりだけの病室は、しばし、重苦しい沈黙がとざした。
そして、そんな雰囲気を払拭するのは、やはり達也のほうだった。
「ごめん。佐知子さんを困らせるつもりはなかったんだけど」
こだわりのない声に、佐知子はおずおずと眼を上げた。
穏やかに微笑む達也がいる。何事もなかったかのように。
「あ……」佐知子は、カラカラに渇いた喉から、声を絞り出そうとした。
なにか、言っておかなければ。いま、この場で。
そうしなければ取り返しがつかなくなる、そんな予感があった。
でも……なにを? 言えばいい?
取り返しがつかない、とは? 私は…なにを恐れる?
混乱する思考の中から、適切な科白を見つけ出すことが出来ない。
「いまは」達也が言う。
気負いのない口調で。しかし、眼には固い決意の色を浮かべて。
「僕が、冗談や悪フザケで、こんなことを言ったわけじゃないとだけ、知っておいてくれれば、いいよ」
そう釘を刺して。ひとまずはここまで、という空気にしてしまう。
結局、佐知子は、なにも意味のあることを口に出来ぬまま。
二十以上も年下の若者からの求愛を聞き終えてしまったわけである。
呆然と立ち竦んでいた。
……そんなふうにして、始まった一日である。
佐知子に、平静な心で過ごせというほうが、無理があった。
しかも、達也の傍らから離れることは出来ないのだ。
達也は、ベッドに上体を起こして、本を読んでいる。
椅子に腰を下ろした佐知子が、それを眺めている。
これは、いつものように会話を仕向けても、どうにも口が重く、すぐに沈思黙考の中へ入ってしまう佐知子のようすを見た、達也の配慮だった。
『僕は本を読んでるから』
それだけ言って。その後は、本当に読書に没頭するようすで、すぐそばに座ったままの佐知子には見向きもしない。
切り替えの早さというのか、集中力もまた並ではない、と。
ちょっと呆れるような思いで、佐知子は達也を見ていた。
達也が読んでいるのは、翻訳小説で、佐知子が聞いたこともない作家の著書だった。
(昨日、パラパラと覗かせてもらったが、かなり難解な内容だった。)
厚いハード・カバーを読みふける達也の横顔には知的な落ち着きがあって、普段以上に大人びて見えた。
本当に……彼は、さまざまな表情を見せてくれる、と佐知子は思った。
平素の穏やかな顔、快活な無邪気な笑顔。
猛々しいほどの怒りの形相。佐知子を守ろうとしてくれた時の、凛々しく精悍な表情。
そして。佐知子をまっすぐに見つめて、“好きだ”と告げた彼の顔……
そこまで思考を巡らせて、我にかえる佐知子。
いつしか、達也の横顔に見惚れていた自分に気づいて、かぶりをふった。
ボーッとしている場合ではない。考えなくてはならないのだ。
達也がもちかけた難題について。それへの対処を。
やはり、あの時点−達也の告白を受けた直ぐ後に、ちゃんと話を終わらせるべきだった、と後悔する。
少し冷静になってみれば、自分のとるべき態度は決まっていた。
達也の言葉を、完全に冗談として流してしまうという対応だ。
あるいは、いきすぎだと叱ってもよかったかもしれない。
どうして、そう出来なかったのか?
あの時には、そうするのが酷く悪いことに思えたのだ。
ということは……少しでも、達也の告白を信じる気持ちがあったというのか?
それは、あまりに愚かしいことではないか。
本当に、そんなことがありうると思っているのか?
中学生の少年が、自分のような中年女を、本気で……。
(でも……あのときの達也くんは……)
嘘をついているようには、見えなかった。どうしても。
だいいち、そこまで悪趣味なイタズラを愉しむような彼ではない。ないと思う。
ならば……本気なのだろうか? 本当に彼は私のことを?
どうして? 何故、彼のような若者が、私なんかのことを……?
……ああ、違う、そうではない。
たとえ万が一、達也が本気だとしてもだ。自分のとるべき対応は決まっているではないか。
キッパリと跳ねのける。それしかない。
………………どうして、そうしなければならないのか?
どうしてもこうしてもない。それが、良識であり分別だろう。
そう。相手は大人びてはいても、まだ中学生なのだ。
一時的な気の迷いというのが、妥当なところだろう。
だから、それに気づかせてやって。うまく導いてやることが、大人としての……
……ああ、いつの間にか、達也の言葉を信じることを前提にしてしまっている。
(……私は……)信じたいのだろうか? 彼の求愛が真情からのものであると。
いま、自分は。自分の心は。
とても困惑している。それは確かだ。。
嫌がっている?それはない。ひどく混乱して懊悩しているけれども。忌避の感情はわいてこない。
ならば……喜んでいる? この、胸の熱さは……。
馬鹿な。そんなはずがない。子供ほどの年の若者に…。そんな…はずが……
−7−
……深刻な顔を俯けて、出口のない思考にハマりこむ佐知子を達也は横目に眺めている。
まあ言うまでもないことだが、ハナから読書に没入などしていなかった。
佐知子の目にそう見えたのは、達也がそのように見せようとしたからだ。
(効いてる、効いてる)懊悩する佐知子に、笑いをかみ殺す。
本当に、よくもまあ、ここまでこちらの描いた絵図の通りに反応してくれるものだと呆れるやら感心するやらだった。
(ホント、純粋だなあ、佐知子は。可愛いゼ)
それに、いい女が悩む姿もいいものだ、と愉しんでいる。
確かに、形のいい眉を寄せて、大きな瞳を翳らせて、肉感的な唇を噛むようにしている
佐知子の愁い顔は、見る者の嗜虐心を煽りたてるような、巧まざる媚態となっていた。
さらには。片手を口元にあてて、その肘をもう一方の手で支えるような姿勢によって、その豊かな胸が強調されて、白衣に色っぽい皺をつくっている。
ピタリと合わせた丸い両膝には隙がないが、豊満な腰の肉づきに引っ張られて、スカート部分はやや際どい位置にズリ上がって、逞しいほどに張りつめた太腿を見せつけてくれているのだった。
(ソソッてくれるなあ、越野のママさん)たっぷりと、視姦を堪能して。
漲っていくものを感じた達也は、そろそろ次の行動へ移ることを決める。
佐知子は、もうグラグラだ。いまの深い悩乱ぶりが、なによりの証拠である。
もう、ひと押し、ふた押しだろう。予定より早い成果である。
(やっぱ。チョロかったな)まずは、溜まったものをヌイて身軽になるか、と。
達也は本を閉じて。
「……佐知子さん」心中での舌なめずりは、おくびにも出さず、佐知子を呼んだ。
達也は首の下に枕を抱くようにして、うつ伏せに横たわっている。
ギブスをつけた左足は膝を曲げて、クッションで支えてあった。
達也は裸だった。大きめのタオルを腰に掛けただけの姿だ。
ベッド脇に立った佐知子は、達也へと屈みこむようにして、手にした濡れタオルで、体を拭いている。
「ごめんね。こんなことまで、お願いしちゃって」
「いいのよ。これくらい」なんでもないといったふうに、佐知子は答えた。
入浴できない患者の体を清めてやることは、ナースとして当たり前の仕事だ。
ましてや、ベテランである佐知子のこと。その患者の状態にも合わせて、どのようにしてやればいいかなど、すでに体が覚えてしまっている。
洗面器に汲んだ湯で、こまめにタオルを洗いながら、佐知子は淀みない手つきで作業を続けていった。
ただ。常ならば、あれこれ患者に言葉をかけて、リラックスさせようと配慮するのだが。いまは、ほとんど無言だった。
視線は自分の手元に固定されている。口を引き結んだ横顔には、ことさらに作業に集中しようとする気ぶりが見てとれた。
そうでもしなければ……というのが、佐知子の正直な気持ちだ。
しかし、いくら自分の手元だけを見て作業に没入しようとしても。
無防備に広げられた達也の背中は、いやでも眼に入ってくる。
その感触は、タオル越しにも、しかと手に伝わってくる。
それらを、まったく意識から締め出すなどとは、所詮無理な話だった。
どころか。気がつけば、眼は達也の裸の背に吸い寄せられて。
タオルを使う手の動きは、達也の肉体の質感を確かめるようなものになってしまう。
達也の身体は、完全に大人の体だった。
肩も背中も広い。ガッシリとした骨格の上にほどよく肉を乗せて。
固く引き締まった筋肉は、ゴツゴツとした感じではなく、しなやかな印象を与える。着衣の時に痩せてみえるのは、そのせいだろう。
だからこそ、こうして裸身を晒した時には、意外なほどの逞しさが際立つのだ。
本当に裕樹とは大違いだ…と。佐知子は昨夜も肌を重ねた息子の、華奢でプニプニと柔らかな体と、つい比べてしまう。
まったく無意味な比較だった。
(……そう。達也くんは大人。裕樹はまだ子供……)
……いつの間にか、タオルを持つ手が止まりかけているのに気づく。
佐知子は、洗面器の湯にタオルを浸して、手早く洗いながら、
“なにをいまさら”と自分を叱咤した。
すでに、達也の排尿の補助までしているのに、いまさらこんなことで惑乱していてどうするのか、と。
彼の身体的成長が、成人男性と比べても遜色ないということも、充分に承知していたことではないか。
(……遜色ないどころか…)
また、危うい方向へ流れようとする思考を断ち切るように、タオルを固く絞った。
ああ……やはり、あまりにタイミングが悪い、と嘆いた。
こんな時に、達也の肉体の逞しさを見せつけられるのは。
達也が、大人であること、男であることを意識させられるのは。
手馴れた作業も、いまの佐知子には苦行であった。
……とにかく、早く終わらせることだ、と。
はやくもお定まりになってしまった文句を呟いて、佐知子は、悠然と横たわる達也へと向かう。
しかし。
少しでも早く終わらせようと、気を急きながら。佐知子は、ハタと固まってしまった。
すでに肩や背中や腕は拭き終えた。あとは腰から下だが。
どうしよう……? と、迷う目を大判のタオルに覆われた達也の腰に向ける。
当然、その下も裸だ。それは脱ぐのに手を貸した佐知子には、よくわかっている。
視線をズラしたまま、エイヤとブリーフを引き剥いて。すぐに達也にはタオルを腰に巻いてもらって。
そのまま、うつ伏せに寝かせたのだったが。
……まずは脚から、と、問題を先送りにしようとした、その時。
やはり、ほとんど喋らず、居眠りでもしているのかと思えた達也が、不意に身じろぎして。
後ろへまわした手で、サッと腰のタオルをとってしまった。
「ちょっと、恥ずかしいけど」
軽く佐知子へ振りかえるようにして、そう言ったが。口調はしゃあしゃあたるものだ。
むしろ、いきなり剥き出された若い男の尻を、思わず凝視してしまった佐知子の方が、頬を赤らめ、ドギマギとするのを隠せずにいた。
それでも、仕方なしにタオルを持った手を、おずおずと、そこへと伸べる。
キュッと締まった、形のよい臀の表面を撫でるように拭いていく。
……まったく、なんというザマかと、ナースとしての自意識は佐知子を責めた。
男の生殖器だろうが尻だろうが、仕事上、飽きるほど見てきたではないか。
なのに、昨日からの醜態は、いったいどういうことだと。
……それはそうだけれど、と、力弱く異議を唱えたのは、佐知子の生身の部分。
どうしても、ナースの意識で見ることが出来ないのが、問題なのだと。
彼は、達也は、これまで佐知子が知る、どんな患者とも、どんな男とも違うので。
あまりにも佐知子の基準からはみ出した存在なので。
達也のことが、わからない。
だが、達也に対している時の自分自身は、さらに理解できない。
達也の……男性を。目の当たりにして。身体に走った震えは、なんだったのだろう?
それに触れた時に、胸を満たした不穏な情動はなんだったのだろうか?
そして、いまもまた。
達也の固く引き締まった尻から、目を離すことが出来ないのは何故なのだろう?
手に伝わる固い弾力に、キュッと、胸が切なくなってしまうのは?
(……これじゃあ……)
ナースの胸や尻に粘っこい視線を這わせてくる、いやらしい男たちと同じではないかと。
理性に責められて、どうにか眼を逸らしても、状況に大差はないのだった。
横たわる達也の裸身は、どの部分も見ても。
しなやかで、力感に満ちて、肌は若さに輝いているようで。
セクシーだった。
男性にも、その形容はあてはまるものなのだと、はじめて佐知子は知った。
その艶かしい寝姿を、ふたりきりの部屋で間近に眺めて。
その肌に触れて。その匂いを嗅いで。
佐知子は、頭の芯が痺れたような心地に陥って、もう機械的に手を動かして、達也の下肢を拭き清めていった。
そして、足先まで拭き終えると、この後どうすればいいのか、と迷うように立ちすくんだ。
「…うん? もう後ろは終わったのかな」
頼りない佐知子に代わって、場を仕切るのは達也である。
片手をついて、顔を起こした達也は、ギブスの左足を一応気遣いながら、ゴロリと仰向けに転がった。
慌てて、手を貸そうとした佐知子だったが。
「……ッ!?」次の瞬間には、ギクリと反射的に後退っていた。
双眸は驚愕に見開かれ、手は無意識な動きで、口元を押さえていた。
あたかも、零れかける恐怖の悲鳴を封じようとするかのように。
仰向けになった達也の股座。
鎌首をもたげた大蛇に睨みすえられて。佐知子は呼吸さえ止めて、凍りついた。
鎮まった状態でさえ、佐知子を畏怖させた達也の男根である。
力を得ないままにして、裕樹はもちろん、記憶にある亡夫のペニスを凌ぐ量感を見せつけて、佐知子を圧倒した長大な肉塊である。
これで、膨張したら、いったいどれほどの大きさになるのか、と。
想像するだけで、佐知子は慄いたのだったが。
いま、見開いた眼に映る現実は、佐知子の夢想をはるかに超えていた。
四肢をのばして、ゆったりと横たわった達也の股間に、隆々と屹立した肉の塔。
達也の逞しい身体に比べても、あまりに不釣合いだと思える、その巨大さ。
息をつめて、瞬きさえ忘れて、佐知子は見つめた。
その驚愕と恐怖に引き攣った表情が、達也の目を愉しませていることに、気づく余裕など、あるはずもなく。
(……ククク、あの顔。相変わらず、いい反応してくれるよ、佐知子は)
毎度毎度、こちらの期待以上のレスポンスをしてくれる佐知子に満悦する。
確かに、達也にも自慢の逸物だ。ルックスや弁舌以上の、最大の武器でもある。
達也の年のわりに豊富すぎる女性経験は、その大半が年上の成熟した女が相手だったが(経緯は、さまざま)。
子持ちの熟女でも、多少は遊びなれた女でも、瞠目せずにはいられないようなケタはずれの巨根である。
だが、佐知子の反応は、過去のどんな女よりも大仰だった。
結婚生活を経験し、子供もいる女にしては、大袈裟とも思える。
(どうやら、死んだ亭主ってのは、よほどの粗チンだったらしいな)
夫と死別して十年近くになるということは、会話の中で聞き出してある。
その間、独り身だからと気軽に遊べるような性格でもないだろうし。
勿体ない話だ、としみじみ思う達也だった。
こんな綺麗な顔で、熟れた体を持った女が、セックスの悦びも知らずにいるなんて、と。
(俺がタップリと教えこんでやるからな。もうちょい待ってろよ)
佐知子に関しては、口説きおとすというというしばりを自ら定めて、それに添って行動してきた達也である。ここまで来たら、意地でも佐知子の方から股を開かせなければ、気がすまない。
まあ、それも時間の問題ではあるが。
はかない佐知子の抵抗を、せいぜい楽しもうとする達也だった。
(ほらほら。いつまでも、そんな怯えた眼で見てんじゃないよ。すぐに、こいつがなくちゃ生きていけなくなるんだからさ。このデカマラをブチこんでもらうためならなんでもする、牝ブタに生まれ変わって。そのデカい乳とデカいケツをふって、ブヒブヒ啼いてさ。涙を流して、俺に感謝するようになるんだから。“達也さま、達也さま”ってな)
長い硬直のすえに。
ようやく佐知子は、巨大な屹立から目を離すことに成功する。
「た、達也くん」頬や、きつく横にねじった首筋に血の色を昇らせながら、
救いを求めるように達也を呼んだ。
「なに?」
(なに? じゃないでしょう!)
何ごともないように聞き返してくる、達也の神経を疑う。
「そ、それ……あの……」
なんと言えばいいのか解らずに、しどろもどろになって。
「…タ、タオル。タオルをっ」
「タオル? ああ、隠せってことか」
ちと面白がりすぎたか、と反省しながら、達也は脇へどけていたタオルを取って、オッ立ったままの肉根に被せた。
「はい。もう大丈夫」
「…………」
怖々と顔を向けた佐知子だったが。ウッと、また軽く息をのむことになる。
確かに、達也の腰には再びタオルが掛けられて、巨大な肉根は直接は
見えなくなっていたが。
しかし、天を差した屹立は鎮まることなく、ボッコリとタオルを突き上げている。
異様な膨らみ具合は、却って、その威容を強調するようにも思えて。
これで“隠した”と言えるのかどうか、怪しいところだ。
「恥ずかしいけど……生理現象だからね」
バツが悪そうに苦笑した達也に、そう言われれば、
「そ、そうね。仕方ないわね」
佐知子はそう答えて、こだわらないふうを装わざるをえない。
とにかく、作業は途中である。
いつまでも達也を裸にしておくわけにはいかない。いろいろな意味で。
竦みそうになる足を踏み出して、佐知子はベッドへと歩み寄った。
手にしたタオルを洗って、作業を再開する。
厚い胸板や固く筋肉をつけた二の腕の力強さが、やはり達也の男らしさを
アピールしていたけれども。もはや佐知子には、それどころではなかった。
もっと端的に。あからさまに、達也の“男”を象徴するものが、すぐそこにあるのだから。
極力、目を向けないように意識していたが。折りにふれ、どうしても
視界の隅に入ってくる達也の股間で、タオルの盛り上がりは一向に鎮まる気配がない。
時間を稼ごうとする意識が働いて、佐知子の手の動きは殊更に丹念になっていったが。
達也の引き締まった腹を拭き終えた時にも、そのすぐ下の隆起は
依然として衰えていなかった。
「………………」佐知子は、しばし逡巡して。
「あ、あの、達也くん……?」
やはり、ここは達也自身の手で拭いてもらおうと考えたのだが。
「佐知子さん、軽蔑した? 僕のこと」
「え!? ど、どうして? そんなことないわよ」
「いいよ、無理しなくて。自分でも、みっともないと思うから」
達也らしくもない自嘲の色が、佐知子を申し訳ないような気持ちにさせる。
「そんなことないわ。生理現象だもの。若いんだから、仕方ないことよ」
「でも、佐知子さん、なんだか触りたくなさそうにしてるし」
「そ、そんなこと…ない、わ」
「いいんだ。だって、体をキレイにしてもらってる最中にさ。こんな時に、こんな状態になっちゃう患者なんて、いないでしょ?」
「そんなこと、ないってば。若いひとには、珍しいことじゃないわ」
実際、珍しいことではない。佐知子にも幾度となく経験があった。
ただ、この場合は、相手が達也であることと、なにより、その度外れたスケールが、佐知子を気後れさせたのだったが。
しかし、このような遣り取りを交わしてしまった上は、佐知子もこれ以上の躊躇を見せるわけにもいかなくなってしまう。
佐知子は、達也の腰を覆ったタオルに手をかけて。
コクリ、と固い唾をのんで。一気にタオルを取り上げた。
「……ッ!」達也の大きなペニスが、再び姿を現す。
身構えていながら、佐知子は改めて目を見張り息をつめずにはいられなかった。
間近に見ると、ますます肉体の一部とは信じられなくなる。
またも眼を釘づけられそうになるのを堪えて、佐知子は達也の下半身を拭きはじめた。
精一杯の平静を装って。しかし、いまや巨大な屹立は視界の中心に倣然と居座っているわけだから、眼の逸らしようもなく。
早い動悸と息苦しさを覚えながら、佐知子は、下腹部から両腿へと、タオルを滑らせていった。慎重に。達也の男性には触れないように。
「………………」
だが、周辺の部分を清め終えれば。そのまま避けていた中心を放置して足先へと手を移すわけにもいかなくなってしまう。それでは、気にすることはないと達也に請け負った言葉が嘘になってしまう。
(……なんでもないことよ、これくらい。キレイにするだけ……)
自分に言い聞かせて、佐知子はゆっくりと手を伸ばした。
屹立した肉根の太い茎の部分に、そっとタオルを押し当てて。
軽く撫でるように拭いてみる。
押されて、かすかに長大な肉が揺れる。
これでは形ばかりの行為だというのがあからさまだった。
佐知子は覚悟を決めて、タオルを掌に被せるように持ち直すと、ままよ、と握りしめた。
「………っ!」
タオル越しにも、固い肉の感触が伝わってきて、佐知子は息をのんだ。
(……なん、て……)
怖々と握りしめたものの、強度と逞しさに改めて驚嘆する。
間に挟んだタオルの厚みが加わっているにしても、
指が回りきらないという肉茎の太さは、なんなのだろうか。
佐知子は、本能的な畏れに震えかかる手を、そろそろと滑らせていった。
剛茎を根元から先端へと拭き上げていく。胴部だけで、ゆうに佐知子の拳のふたつ分以上はあった。
力加減に悩みながら、ゆっくりと引いていった拳が、茎より格段に太く強く張り出した肉冠部に達する。
佐知子は、軽く息をついて、把握を緩めて、先端部を掴み直した。
「…アッ!?」
その瞬間、ビクリと達也の肉体は反応して、包みこんだタオルの中でグッと漲りを増した。思わず、小さく声を上げて硬直する佐知子。
「佐知子さん」
「な、なにっ?」タイミングを計ったように達也から声を掛けられて、はっと顔を上げて、
上擦り声で聞き返した
達也は、かすかに眉根を寄せて、佐知子を見つめていた。
「やっぱり、僕のって、なにかおかしいのかな?」
「そ、そんなこと、ないわよ。なにも、おかしなところは…」
「佐知子さん、口では、そう言うけどさ。昨日からの態度を見てるとね」
「そ、それは…」
「看護婦さんに、いちいち、そんな反応を見せられたら。異常があるんじゃないかって、不安にもなるよ」
「それ、は……」
佐知子は言い淀んだ。
さすがに、“そんな反応はしていない”などと言い逃れがきくとは、自分でも思わなかった。それほど、露骨な態度を示してしまったという自覚がある。
それは、達也が言うように患者として不安を感じても仕方ないような対応であり、ナースとして失態であった。
正しておかなくてはならない。
「本当に、達也くんの体に、おかしなことなんてないわ」
キッパリと言い切って。しかし、それだけでは、もう達也も納得できないとわかっていたので。
「た、ただ……」
「ただ?」
「あの……とても、逞しい、から……驚いてしまって……」
尻すぼみに呟いて。眼を伏せた佐知子の顔は羞恥に赤く染まっていた。
片手は、まだ達也の屹立を掴んだままだった。話の流れから、手を離すに離せなくなってしまっている。
「僕のが? 大きいってこと?」
「え、ええ……そう、思うわ……」
「ふーん。そうなのかな?それで、佐知子さんは驚いたって? 驚いただけ?」
「…え?」
「大きすぎて、キモチ悪いって思ったとか」
「そ、そんなことは、ないわ」
「そうかな。だって、単に驚いたってだけじゃなさそうだったよ。なんだか、出来るだけ、触らないようにしてるし」
「そ、それは」
「やっぱり、汚らわしいって感じるものかな?こんな状態になってると」
「そうじゃなくて」しかし、説明することは難しかった。
見たこともないような逞しい雄の象徴を前にして、牝としての根源的な畏怖が働いて、萎縮してしまったのだとは。佐知子自身、ハッキリと理解していなかったので。
「本当に、汚らわしいなんて、思ってないのよ」
「そう? じゃあ…」達也は、つと手を伸ばして。
そして、佐知子の手の中から、スルリとタオルを抜き取ってしまった。
「あっ!?」
手品のような手際に、佐知子は呆気にとられて。自分の手と、達也の手に移ったタオルを見比べた。
「触ってみてよ」
「…え?」
「本当に、汚らわしいともキモチ悪いとも思わないんだったらさ。直接、触ってみて」
「な…そんな、達也、くん……」
「僕だって、恥ずかしいけどね、こんなの」
達也は、頑なな色を面に浮かべて、
「自分でも、馬鹿なこと言ってると思うし。でも、佐知子さんに気味悪がられたんじゃないかって後々まで悩むのは、イヤだからね」
「だから、私は、そんなこと思ってないって…」
「証拠を見せてよ」静かに、しかし強く言い放って。後は、無言で佐知子を見つめる。
佐知子は、追いつめられてしまった。
これ以上、抵抗を示せば、達也の疑心を裏付けることになってしまう。
……達也の巧みな誘導にハマって、思考が狭窄しているということを自覚できずに。
「い、いいわよ」
それくらい、なんでもないといったフリ、もはやなんの意味もないポーズをとって、半端に宙に浮かせていた手を、達也の股間へと向けた。
達也の男性は、依然として雄々しくそそり立ったままだった。
それは、やはり佐知子に、巨大な蛇を連想させて、粟立つものを感じさせたが。
もう躊躇すら許されていない(と、思わされてしまっている)佐知子は、無理やりに手を押しやって。鎌首の下のあたりを握りしめた。
(……あぁ……)今度こそ、生身の達也の感触が伝わってきた。
それは、同じ部位でありながら、排尿を手伝うために触れた時とは、
まったく別物に変貌していた。
(……熱い……硬い……)
最初に感じたのは、それだった。灼けるような熱さと鋼のごとき硬さ。
触れてみれば、なおさらに生身の肉だとは信じられなくなってしまう。
知らず、手指に力がこもった。やはり、指は回りきらない。
野太い幹にはやはり太い血管が高く浮き上がってゴツゴツとした節くれだちを作っている。
そして、盛んな脈動を佐知子の掌に伝えてくるのだった。
(……凄い…こんな……)
この上なく逞しく猛々しい牡の肉体は、凄まじいほどのエネルギーを放射して。
ただただ圧倒される佐知子は、握りしめたものを凝視していたが。
しかし、危うい流れに引きずりこまれつつある自分を、ようやく意識して、
「こ、これでいいでしょう? もう…」
そう言いながら、熱い肉鉄に焼けついてしまったかのような指を引き剥がそうとしたが。
その手は、上から達也に押さえこまれてしまう。
「た、達也くん!?」
「もう少し、そうしていてよ」
「な!? なにを」
「だって、肝試しじゃないんだからさ」ちょっと口を尖らせて、達也は抗議する。
「お義理みたいに、ちょっと触って、これでいいでしょなんてさ」
「そん、な……わ、わかったから、手を離して」
「いやだね」
駄々っ子のように言って。しかし、佐知子の手を押さえつける力は強く、逃げることを許さない。
そして。
「ああ。佐知子さんの手、スベスベしてて気持ちいいや」
陶然と呟いた達也の科白は、恐れていた危険な逸脱への兆しと聞こえて、佐知子を狼狽させた。
「た、達也くん!」
叱責して、達也を睨みつける。しかし、その頬は赤く上気したままだからまるで迫力に欠ける。
「怒らないで。だって、佐知子さんのせいなんだよ?」
「なにを、言うの?」
「佐知子さんのことを思って、こんなになってるんだから」
潤んだ眼に湛えた切ない色で佐知子をひるませて、達也は訴えた。
「言ったよね。僕、佐知子さんが好きだって」
「いまは、その話は…それとこれとは」
「話が違うって? そうかな。僕は佐知子さんが好きだから、こんなになってるのに」
「そんなの…」
「僕だって男だからね。好きなひとと一日中いっしょに過ごしてれば、そういうことだって考えるさ。佐知子さんの大きな胸やお尻を見て、ムラムラするし」
「い、いやらしいわ」
「そうだね。でも、それがいけないことなの? 僕、おかしいのかな?」
「そうじゃ、ないけど。で、でも、こんなことは」
「オシッコを手伝ってもらった時もさ、正直なとこ、イヤだったんだけど」
「……えっ?」
「ただでさえ、恥ずかしいし……佐知子さんの手に触られて、反応しちゃったら、居たたまれないじゃない。でも、佐知子さん、“いいから任せなさい”って感じだったし」
確かに、あの時は(表面的には)渋る達也を佐知子が押し切って、世話をやいたかたちである。
「でも、そこまでしてくれる佐知子さんの気持ちは嬉しかったから、任せちゃったんだよね。触れられてる間は、必死に気を逸らして」
あの時の達也の悠然たる態度からは、必死になっていたなどとはとても思えないのだが。達也のようすをうかがう余裕などなかった佐知子は、そうだったのかと鵜呑みにしてしまって。配慮が足りなかっただろうか、と必要のない自省をわかせてしまって。
結果として、またひとつ抗いの力を弱められてしまうのだった。
「でも、今日は抑えられなかった。もう限界だよ」
切なげな達也の表情も、そうだった。上目づかいに佐知子を見る潤んだ眼が
ゾッとするほど艶っぽくて、佐知子の胸をどよめかせる。
「わかるでしょ?こんなになってるのは、佐知子さんのせいだよ」
甘ったるい声で囁いて。達也は剛直に押しつけた佐知子の手を、ゆっくりと上下させはじめる。
「ダメよ、達也くん、こんなっ」
達也の行為を止めようとする佐知子の声は、ほとんど悲鳴のようだった。
これは、もう完全に性的な接触である。その証左のように、佐知子の手の中、無理やり握らされた達也の男性は、滑らかな掌に擦られて、
ググッと漲りと硬度を増したのだった。
(う、嘘…? まだ、大きくなる?)
驚愕に眼を見開く佐知子。あれほどの大きさから、まだ膨張の余地を残していたのかと。
しかし、思わず凝視した達也の肉体は、その巨大な先端部も確かに充血の度合いを増して。凶悪なまでに張りつめた肉傘は、テラテラとドス赤く輝いているのだった。
その獰猛なまでの迫力に威圧されて、佐知子は頭の芯が痺れて、硬直した腕は、達也への抗いを緩めてしまう。
それでいて、無理じいに使役される手の感覚は鋭敏になって。
握りしめた肉体の凄まじさを、ありありと感じとってしまうのだった。
(……あぁ……)
掌中で、その怪物的な雄が、際限なく、量感と硬度と熱と反りを増していくように感じられて。佐知子は、胴震いして。
(……凄い……すごい……)惑乱する意識の中で、そんな言葉だけを繰り返す。
「ああ、気持ちいいよ、佐知子さん。このまま…」
うっとりと洩らした達也の乞いに、釣りこまれるようにうなずきかけて。
佐知子は、かろうじて、理性を掻き立てて。
「も、もういいでしょう、達也くん。これ以上は…」
「イヤだよ。こんなとこでやめられたら、余計辛いもの。それは、佐知子さんだって、知ってるでしょ?」
「後は……自分で…」
「自分で?オナニーしろって?それは冷たいよ」
「そんなこと、言ったって…」
「僕、我慢してたんだよ。そんなことしたら、絶対佐知子さんのことを思い浮かべてしまうと思ったから。佐知子さんと抱き合って、キスして、そして…」
「や、やめてっ」
「そうでしょ?想像の中でも、穢されるなんて、イヤでしょう?僕も、それは佐知子さんに悪いと思って、我慢してたんだ。そのせいでこんなに溜まっちゃってるんだからさ」
「だ、だからって…」
詭弁ともいえないような強引な達也の論理であったが。佐知子は冷静に切り返す余裕などなく。
「ねえ、今だけ、これ一度だけでいいから。お願い苦しいんだ。たすけてよ、佐知子さん」
「……ああ……もう」
甘えた声で嘆願する達也に、ついに諦めたような吐息をついてしまう。
それは、達也の言葉にほだされたというよりは、手の中で猛り狂う雄肉からの圧迫に、耐え切れなくなったというのが、真実であったかもしれないが。
とにかくも、佐知子は達也を諌める言葉を途切れさせ、掴まれた手から完全に力を抜いてしまう。
佐知子の抵抗が消えると、達也は、掴んだ手を操る動きを大胆にしながら、
「ああ、いいよ。もっと、しっかり握って、佐知子さん」
鼻にかかった声で、佐知子に協力を求めた。
「…………」
佐知子は、眉を顰めて。それでも、ほんの少しだけ指先に力を入れた。
あらためて、達也の稀有な肉体の特徴が迫ってくる。
逞しすぎるほどの量感、奇怪なまでの節くれ立ち、鉄を呑んだような硬さ。
どうしても生身の肉体と信じられないような。
しかし、それは灼けるような熱を孕み、盛んに脈動しているのだ。
凄まじいほどの生のエネルギーを感じさせる、まぎれもない生身の肉。
……佐知子は、秘密の閨での裕樹との戯れを思い浮かべた。
自分の手の中で、血気盛んに猛り立つさまに、通じるものを感じたからだ。
だが、似ているのは、それだけだった。それ以外のすべてにおいて、あまりにも裕樹と達也の肉体は、かけ離れていた。
それは成長の差と片付けられる程度の違いではなかった。
(……達也くんが、凄すぎるのよ……)
実感を心中に呟く。すると、さらに胸が熱くなって、鼓動が乱れた。
−8−
そんな、達也の特別な肉体に触れているのだと思うことが、血をざわめかせる。
それは自分でも理解できない機微で。
ただ、強い背徳の感覚だけは確かに佐知子の中にあって。
(……こんなことをして……)そう思いながら、手を離すことは出来なかった。
達也は、傍若無人に快感を求める行為を続けていたが。
佐知子の手を借りた自慰、というかたちから得られる刺激に飽きたらなくなったのか、
「ねえ、佐知子さんからも、してよ」
やや露骨な物言いで、佐知子からの積極的な行為を求めた。
「このままじゃ、いつまでも終われないよ。ねえ、おねがい」
苦しげな表情と息づかいで訴える達也を、こちらも辛そうな眼で見返して。
佐知子は、(いささか都合よく)ナースとしての使命感を持ち出すことでこの窮地を切り抜けようとする。
ベッドに縛りつけられた生活で、若い達也が活力を持て余すのは、無理もないことだから。
その苦しみを取り除いてやれるのならば、と。
「……しょ、しょうがないわね」
どこか言いわけがましく呟いて。おずおずと、達也の剛茎を握った手を動かしはじめる。
「ああ、嬉しいよ、佐知子さん」
オーバーに感激する達也を、佐知子は恨めしそうに見つめて、
「これっきりよ? こんなことは」
「わかってるよ。だから、続けて」
うっとりと快感に浸る顔を見せて、達也は佐知子の手に添えていた手を離した。
強制から解放されて。しかし、そうなると、後は完全に自発的な行為を演じなければならないわけである。
「……佐知子さん?」
「わ、わかってるわ」促されて。佐知子は止まりかけた手を、再び動かしはじめる。
「…早く……済ませて、達也くん」
ぎこちない動きで、野太い肉茎を擦り上げながら、達也を急かした。
とにかく、こうなったら少しでも早く終わらせることだ、と。
ひとつ覚えのようになってしまった、お題目を唱えながら。
「うん…もう少しだよ」
眼をトロンとさせて、達也が洩らした言葉を、佐知子は素直に信じた。
これほど漲っているのだから。こんなにも強く脈打っているのだから。
達也が欲望を遂げるまでは、いくらもないであろうと。
(……早く…早く……)
急く心のままに、佐知子の指先に力がこもる。擦りたてる手の動きが活発になっていく。
……しかし、佐知子の懸命な努力にも拘らず、達也の巨大な肉根は、一向に爆発の兆しを見せなかった。
(……どうして? こんなになってるのに……)
握りしめた肉体は、ますます熱くなり、ますます硬く反り返っている。
鎌首も真っ赤に血を集めて、パンパンに膨らんでいて、
その先端からは、ダラダラと先走りを吹きこぼしているのだ。
佐知子の目には、爆発寸前としか見えないのに。
(……裕樹なら、とっくに…)
という比較は、比べる対象が極端すぎて、なんの意味もなかったが。
このような状態のまま、果てもせず萎えもしない達也の強靭さが佐知子には信じられない。
「……達也くん、まだなの…?」焦る気持ちのまま、佐知子は達也に訊いた。
懸命に達也の肉体を擦り続ける手は、重く痺れていたし、生え際には汗すら滲んでいた。
「うーん、気持ちいいんだけど…。ただ、最後までイクとなると、このままじゃあ、ちょっとねえ」
「これ以上、どうしろっていうの?」
平然たる顔で、さらに注文をつけようとする達也に、佐知子の声が尖る。
「そう言うけどさ、佐知子さん、ただ握って擦ってるだけなんだもん。それじゃあ、本当には気持ちよくなれないよ」
「そんなこと……言ったって…」
「ねえ、そんな鷲掴みじゃなくて、もう少し優しく握ってみてよ」
「優しく……」
早期決着のために、多少は達也の言うことを聞き入れる気にはなっても。
実際に佐知子がしたのは、握った指の力を緩めただけのことだった。
「うーん、そうじゃなくて」
(まったく。いい年こいて、チンポの握り方もわからねえのかよ。そんなこっちゃ、いい肉奴隷にゃあ、なれねえぞ)
まあ、年甲斐もないウブさ加減も、佐知子の魅力ではあるし。
仕込んでやるのも、また楽しからずや、と。
まずは最初のレッスンに取り掛かる達也である。佐知子の手をとって。
「もっと、こう……親指は、この裏側のクビレのあたりに…そう、そこ」
細かく、指の位置まで決めてやる、懇切丁寧な指導ぶり。
「た、達也くん……」
佐知子がたじろいだのは、わずかに指のかたちを変えただけで、淫猥な戯れ、という色合いがあからさまになってしまったからだったが。
「いい感じだよ。そのまま、ゆっくり擦ってみて」
快美を告げる達也の言葉に、これで早く終わらせられるならと、
妥協させられてしまう。ズルズルと。
「うん、イイよ。そのまま、力を加減しながら先っぽまで」
「…………」
調子に乗る達也の指図のまま、意識的に避けていた先端部まで手を滑らせていく。
凶悪に張りつめた肉傘の独特の感触が、ひどく生々しくて、佐知子は固い唾を飲み下した。
「ああ、イイよ。そこは敏感な場所だからね」
だから、とっとと終わらせたければ……という狡猾な示唆を受けいれて、慄く白い指を、充血しきった鎌首に這わせていく。
恐る恐る、撫でるように指を動かせば、ドス赤い肉瘤はビクリと反応して、切っ先から随喜のヨダレを吹きこぼした。
溢れ出る粘液が、佐知子の掌を汚す。そのヌラついた感触が、ゾワゾワと肌を粟立たせる。
(……すごい……こんなに……)
溜めこんだエネルギーの膨大さを物語るかのように、達也の先ぶれは多量で。
そして濃厚だった。手指に絡みつく粘い感触と、鼻を衝く強い性臭。
(……すごい、匂い……)
嗅いでいると、頭の芯がボーッと熱くなって。クラクラする。
「……もっと、手でこねまわすようにしてみて」
若い雄の精気にアテられて。痺れかかった意識に達也の声が届く。
「……こう…?」
佐知子は従順にそれに応じて。巨大な肉瘤に手を被せて、こねくるような動きを与える。
ネチャネチャと、擦れあう肌の間で、粘っこい音が立つ。
その響きの淫猥さに、また佐知子の胸は熱くなる。
「ああ、いい、気持ちいいよ、佐知子さん」
眼を細め、快感の声を洩らす達也を見て、佐知子の中に“もっと”という衝動が生じる。
(……そうよ、そうしなければ……終わらないもの……)
言いわけじみた科白を胸に吐いて、佐知子は行為に熱をこめていく。
達也の肉体を擦りこねくる手の動きはどんどん積極的になり、淫らがましくなっていって。
「……気持ち、いい? 達也くん」
潤んだ眼を達也に向けて、昂ぶりにかすれた声で訊いた。
「うん、すごくいいよ、佐知子さん」
蕩けた表情の裏では、冷静に佐知子のハマりこみようを観察している達也である。
「ねえ、そのまま、根元も扱いてみてよ、そうすれば、僕、すぐにイケそうだよ」
「……こう?」
誘導されて、佐知子はベッドに突いていた左手で、怒張の野太い根っこを握る。
「うん、そう、それで、同時に」
強まった快感に気もそぞろ(というフリ)の達也に促されるまま、両手で捧げるように持った巨根に扱きをくれてやる。まさに“両手に余る”長大さに感嘆しながら。
「あぁ、いいよ、佐知子さん」
あえぐような達也の声。両の手の中でひときわ強まる脈動。
佐知子もまた、両手の動きを激しくする。額に汗を浮かべ、荒い息をついて。
しかし、達也は、まだ爆ぜようとしない。
「……まだ? まだなの、達也くん?」
肩をあえがせながら、佐知子は訊いて。達也の顔を見た。見上げた。
いつの間にか、視点が低くなっている。
両手で達也の怒張を愛撫するために、自然と体勢が崩れて。
いまの佐知子は、ベッドに乗りかかるようにして。大きく広げた達也の脚の間に、ほとんど腹這う姿勢になっていた。
両肘で支える上体は、豊かな胸乳が重たく垂れ下がって、わずかに乱れた白衣の合わせからは、深い谷間さえ覗かせているのだ。
無論、達也は、ヌケ目なくその景色を楽しんでおり、そこへと手を差しこんで、見るからに柔らかそうな熟れ乳を思い切り揉みまくってやりたい衝動も感じていたが。
「もうすぐ、もう少しだよ、佐知子さん。続けて」
いやいや、ここは初志貫徹だ、と。グッと堪えて、佐知子を促す。
あぁ…と、切なげに嘆息して、佐知子は、握りしめたものへと眼を戻した。
「……早く…はやく、終わって……」
聳え立つ巨大な肉根へ直接訴えかけるように、そう呟いて、再び攻勢を強めていく。
(ケッ。そんなに出してほしけりゃ、先っちょにキスのひとつもしてみろっつーの)
実際、姿勢が崩れたことで、佐知子の顔と達也のペニスも、かなり接近しているのだった。
ケタ外れなデカブツを間近に眺めて。若い雄の臭気を濃く嗅いで。
佐知子が、その血肉を昂ぶらせていることは明らかだった。
その美貌も、細い首までも赤く朱を昇らせ、荒い呼気をついて。
上体だけをベッドに伏せた窮屈な体勢の腰が、微妙なくねりを見せている。
こんなもの……ちょいと腕を引いて、抱きすくめて。ハードなキスをかましながら、軽く乳や尻を撫でてやれば、楽勝だ、と達也は倣岸に確信する。
だが、それは予定とは違うのだ。
(まったく。美学にこだわる自分が恨めしいぜ)
ここでは、達也はこのまま佐知子の手コキで欲望を遂げるつもりである。
ようやく腰の奥で遂情が兆しはじめてもいた。
入院以来の禁欲は本当だ。それは“いまさら、オナニーなんかしてらんない”という実にふざけた理由もあったが。この機会を待っていたのも事実である。
(こんだけ溜めこんでなきゃ、到底イケなかったな)
思った以上に、佐知子は性的な技巧に不慣れであった。そのこと自体は、達也にとって不愉快ではなかったが。
しかし、このままでは、やはり物足りないので。達也は、もう少し遊ぶことにする。
グッと丹田に力を入れた。
「ああっ!?」途端に佐知子が、驚愕の声を上げた。
佐知子の手の中、猛り立った肉鉄が、さらに硬度を増して、ググッと反り返ったのだ。
「……ああぁ…す、すごい……」
肝を拉がれて。剥き出しの驚嘆が、震える唇からこぼれる。
「凄い? 佐知子さん。僕のって凄いかな?」
「……すごい、わ……」
呆然と眼を見開いた佐知子は、達也の悪趣味な質問にも、素直に実感を答えてしまう。
「どう凄いの? 大きいってこと?」
「お、大きいわ……とても……怖いくらい…」
佐知子のボウとけぶった瞳は、達也の怒張に釘づけられたまま。両手は、巨大な肉柱を
擦りたてる動きを続けながら。耳に届く達也の問いかけに口が勝手に答えを返すのだった。
「それから?」
「……すごく、熱くて……硬い…」それを確かめるように、佐知子の手指に力がこもる。
「……ああ、すごい……こんな、こんなの……」
「こんなの、見たことない?」コクリ、と。佐知子はうなずいた。
そりゃそうだろうぜ、と自惚れつつ。
「佐知子さんのことを思って、こんなになってるんだよ」
「……あぁ……」絶えいるような声を洩らして。佐知子の腰がブルッと震えた。
……こんなもんか、と満足する達也。
すっかり発情した風情の佐知子の色香に煽られていよいよ欲望がせくり上がってきている。
「ああ、もうイキそうだよ、出してほしい? 佐知子さん」
「あっ……」“出す”という言葉の生々しさに、一瞬、佐知子の迷妄が払われる。
「ちょ、ちょっと待って、達也くん」
達也を射精まで導くために奮闘していたわけだが(途中からは目的を忘れていたきらいは多いにあるにしても)。
いざ、その時を迎えて、対処する体勢がまったく出来ていない。
慌てて、体を起こそうとした佐知子だったが、片手をガッシリと掴まれてしまう。
今度こそ爆発寸前の達也の怒張を、握ったかたちのまま。
「は、放して、達也くん」
「ああ、イキそう」
佐知子の懇願など聞かず、掴んだ手でガシガシと最後の扱きをくれて、腰を慄かせた達也。
「ま、待って」
ブワッと膨らむ感触に戦慄しながら、自由なほうの手を伸ばして、放り置かれたタオルを取ろうとする佐知子。
しかし、手が届かずに。
「達也くん、待っ……キャアッ!?」
制止の声は悲鳴へと変わる。ついに起こった噴火に。
その形容がまったく相応しいほどの、達也の爆発は盛大だった。
ビュッビュと音立てて噴き上がった男精の第一波は、咄嗟に仰け反った佐知子の顎先を掠めて、ボタボタと重たい音をさせてシーツの上に降り注いだ。
「……あ……あぁ……」
片手を中途半端な姿勢で凍りついて。佐知子は茫然と見つめた。
達也の噴火は続いて。波状的に白濁のマグマを噴出する。
凄まじい勢いで、信じられないほどに大量の精を吐き出し続ける。
それは、長大な肉の砲身を伝って、根元を握らされた佐知子の手にも流れた。
(……熱い……)
火傷しそうな、と感じながら、しかし汚される手を引こうともせず。
顎に付着した達也の体液を拭おうともせずに。
佐知子は息をつめて。ただ、達也の長い長い爆発を見守っていた。
「……フウ。スッキリしたあ。ありがとう、佐知子さん」
長く盛大な噴出がようやく終わって。
余韻にひたる顔で。暢気に感謝を口にする達也。
佐知子は無言で、達也の身体から手を離した。固く強張った表情で。
「………………」
ベットリと達也の体液に汚れた手を眺めて、かすかに眉を顰める。
タオルを取って、手を拭った。手をタオルになすりつけるように、何度か拭って。
コッテリとした白濁の液を付着させたタオルは、洗面器の湯の中に放りこんで、その横に置かれていた替えのタオルを手にした。
横たわる達也へと向いて。股座にこぼれ、腿に飛び散った精液を拭きとりはじめる。
ムッと濃厚に立ち上る性臭に、一瞬息をつめるようすを見せた。
股間を清める時には、ギクリと手が止まりかけた。あれだけ大量の精を吐き出しておきながら、さほど縮みもせずに図太い顔を見せている巨根を目にして。
しかし、佐知子は、すぐに動揺を押しこめて。手早く作業を進めた。
その手の動きは、荒っぽくはないが丁重でもなかった。
ざっと達也の体を清め終わると、拭き取った精に汚れたタオルを、やはり洗面器に放りこんで。
それから、汚れたシーツを達也の体の下から引き抜いて、まるめて床に置いた。
これで、達也の盛大な吐精の痕跡を、ひとまずは排除できたわけであり。
たちこめる臭気も、だいぶ薄れたようだった。
佐知子も、わずかに安堵するような色を見せて、しかし、表情を緩めはせずに、なおも機敏に動きまわる。
新しい下着とパジャマを達也に着せる。手を貸しながら、目を合わせようとはしない。
「佐知子さん?」訝しそうに達也が呼んでも、佐知子は答えない。
着替えが終わると、新しいシーツを敷いた。達也を寝かせたまま、慣れた手順で難なく済ませてしまう。
これだけの作業を、佐知子は、短い時間で完了した。
達也が欲望を遂げるまでのまごつきぶりとは大違いな手際の良さだったが。
これこそが、佐知子の本来の姿だと言える。
熟練の有能なナースらしさを発揮して、手早く後始末を終えた佐知子は、洗面器と汚れたタオル・シーツを持って、洗面所へと消えた。
終始、無言。達也とはけっして目を合わせぬまま。
「……ふむ?」ひとり残されて、思案顔になる達也。
「なにを、プリプリしてんのかなあ、佐知子ちゃんは?」
さっきまで、ひとのチンポ握って、ウットリしてたくせによ、と哂って。
とりあえず、対応のパターンなど確認しながら、待つ。
……充分な検討の時間を達也に与えるくらいの間をおいて、佐知子が戻ってきた。
化粧を落としていた。顎に飛んだ達也の精液を洗い落すのと一緒に流してしまったらしい。
病室に入って、すぐに佐知子は足を止めて、顔をしかめて周囲を見回した。
まだ、室内に残る臭いに気づいたようだった。
ツカツカと窓辺に寄って、大きく窓を開け放った。
入りこんでくる新鮮な外気を味わうように、顔を上げる。
そして、しばし、窓の外を向いたまま佇んだ。
「……佐知子さん?」一向に振り向こうとしない佐知子の背に、達也が声をかける。
「どうしたの? なにか、怒ってる?」
「………………」窓枠を掴んだ佐知子の手に、ギュッと力がこもって。
思い切ったふうに、佐知子は振り返った。
化粧を落として。先ほどまでの華やかさは失われていたけれど。
それでも、充分に佐知子は美しかった。もともと、普段は、ほんのかたちばかりの薄化粧しかしていない佐知子だから、素っぴんでも、ほとんど印象は変わらない。
いまは、強い怒りの色が、その美貌を彩っていた。かたちの良い眉を吊り上げて。
「ど、どうしたのさ?」驚きを装いながら。達也が内心に浮かべていたのは、
(この女の怒った顔は悪くないんだが。こんなツラを見れるのも、あと少しの間だな)
という、フザけた述懐であった。
「……こんな」低く押し殺した声で、佐知子が言った。
「こんなことを、させるために……あんなことを言ったのね」
「え?なに、どういうこと?」こんな、あんな、じゃ解らないといったふうに。
しかし、その達也の反応は、いっそう佐知子の怒りを刺激したらしかった。
「こんな、いやらしいことをさせるために、あんな調子のいいことを言ったのでしょう!? 最初から、それが目的だったんだわ」
声を荒げて、キメつけた。
「ちょっ、落ち着いてよ、佐知子さん。調子のいいことって?」
「……朝、達也くんが言ってたことよ…」
「朝、って、佐知子さんに好きだって言ったこと?」
「……そうよ…」
ボソリと呟いて。佐知子は、あらためて恥辱の感情を掻き立てらたのか、
「い、いきなり、おかしなことを言い出すと思えば、こんな」
声を高くして、口早にまくしたてた。
「……ふうん……」スッと達也から表情が消えて。
真っ向から見つめる眼が、佐知子をたじろがせた。
「つまり。最初から、その“いやらしいこと”をさせることだけが目的で。好きだって言ったのも、そのための方便だったって。そう言いたいの? 佐知子さんは」
「だ、だって…」
そんなふうに問い返されれば、自分が、殊更に悪意的な解釈をしているようにも思われて。微かに責める色を湛えた達也の視線が、胸に痛かったけれど。
しかし、この時の佐知子は、自分でも理解できない激情に衝き動かされていて。
「だって、そうとしか…それくらいしか、考えようがないじゃないの!」
ヒステリックな叫びを、達也にぶつけてしまうのだった。
「どうして、そうなるのさ?」
達也は問い返した。冷ややかな口調と表情を“選択”して。
それは、ここまで佐知子に対しては、けっして見せなかった顔で。
佐知子は、また、ビクリとひるむようすを見せながらも、
「そうとしか考えられないもの。そんな企みでもなければ、私のことなんかを」
対抗するように声を張ったが。
「私の、ことなんかを……」
自分の言葉に、強い悲しみの感情がこみあげてきて尻すぼみに言葉を途切れさせてしまう。
しばし、重苦しい沈黙がとざした。
昂ぶりに頬を染めて。佐知子は眼を伏せて立ち竦んでいる。
しかし、その場に佇んでいるその姿こそが、佐知子の本心の表れだと、達也は見抜いた。
達也の告白に惑乱させられ、巧みに誘導されて、破廉恥な行いをしてしまった。
その流れを、“騙された”と(実は正しく)解釈して。達也を詰って。
そして、達也の傍に留まる佐知子は、つまりは釈明を求めている。
自分の決めつけを否定してもらいたがっているのだ、と正確に見抜いた達也は。
「佐知子さん」
落ち着いた、穏やかな声で呼びかけた。佐知子の望む言葉をくれてやるために。
「僕は、佐知子さんが好きだよ。それは本当の気持ち」
「…………」
佐知子は、さらに俯く角度を深くして、力なくかぶりを横にふった。何度も。
達也は続けた。
「そして、好きだから、佐知子さんに欲望を感じる。抱きしめたい、キスしたいって思ってしまう。……その先のことだって、ね」
「…………」
「佐知子さんに、あんなことをしてもらって。本当に、気持ちよかった。もう死んでもいいって思うくらいに。こんなに気持ちよかったのは、はじめて」
「…………」
「それは、佐知子さんだから。はじめて本気で好きになったひとだから」
「…………」
「それで……つい、欲張りになってしまったと思う。もっともっとって。佐知子さんにイヤな思いをさせてしまったかもしれない。それは、謝るよ」
「…………」
「でも。僕も男だから。佐知子さんを好きだっていう気持ちと、佐知子さんが欲しいっていう欲望を、わけることはできない。それは、いけないことなのかな?」
「……おかしい…わ……そんなの……」消え入るような声で、佐知子が呟いた。
その面は、さらに上気して。双眸は潤んでいる。
「……私、なんかを……」
「信じてもらえないの? 僕の気持ち」
「……信じられない、わ……」頑なな言葉は、しかし微妙な響きを帯びて。
“信じたい”という、佐知子自身まだ認めていない本音を見え隠れさせていた。
「いいよ。いつかは佐知子さんに信じさせてみせるから」
「もう……その話はやめましょう、達也くん」
懇願するように。いまさらな言葉を口にする佐知子。
(なーにが、やめましょうだよ。散々、歯の浮くようなセリフ言わせといて、キッチリ最後まで聞いといてよ。満足したか? 俺のキモチを確認できてよ)
毒づきながら眺める達也の前で、怒りの色を消した佐知子は、急に居たたまれなくなったようすを見せて。
わざとらしく時計を確認して、
「私、詰め所に戻る時間だから。なにかあったら、コールして」
言い訳がましく、そう言い残して。そそくさと部屋を出ていこうとする。
「なるべく早く帰ってきてね」
背にかけた達也の言葉にも答えることなく、逃げるように出ていった。
「……やれやれ」呆れたように、ひとりごちて。
「化粧を落としたこと、どう言い訳する気かね?」
心配……するわけもなく。部下のナースたちの前でうろたえて、しどろもどろに言い繕う佐知子の姿を思い浮かべて、笑う。
「そろそろ、楽にしてやっか。充分、楽しんだしな」
ニンマリと口の端を歪めた。
−9−
ここ数日、裕樹の学校での生活は、おおむね平穏であった。
おおむね、というのは、ひとつだけ妙な事態が起こっているからである。
この日も、そうなった。
「よお、越野。帰るんか?」
放課のHRも終わって、帰り支度をしていた裕樹に気安い声をかけたのは、高本だった。
「あ、うん…」……やはり、今日もか、と思いながら、当惑顔で答える裕樹。
「ヒマだったら、ちょっと付き合ってくれよ」
イカつい顔に、にこやかな笑みを浮かべて、高本が誘う。
以前なら、またイジメの口実かと疑ってしかるべき場面なのだが。
どうも、そうではないらしいから、逆に裕樹は困惑してしまうのである。
数日前、あの宇崎達也が入院した日の朝、はじめて裕樹は高本に反抗した。
その後、なんらかの報復があるものと、警戒していたのだが。
『気に入った。越野は、ナリは小さいが、いい根性してる』
翌日、登校してきた高本は、意外にも、そんなことを言い出した。
そして、その言葉どおりに、裕樹に対して、やたらとフレンドリーな接近を開始したのである。
裕樹にすれば、安堵より薄気味の悪さを感じてしまう、高本の豹変ぶりであった。
当然、簡単に信じる気にはなれない。
たとえ高本が本気であったとしても、はいそうですか、と受け入れられるはずもなかった。
“勝手なこと、言うなよな”というのが、正直なところである。
だから、放課後の誘いも断ってきたのだが。
こう連日だと、ちょっと悪いかな、という気になってしまう。
高本がまた、これまでの裕樹の拒絶にも、怒るでもなく、ただ残念そうに引き下がるものだから。
お人よしの裕樹としては、余計にプレッシャーを感じてしまっていた。
「あ、でも……」だから、歯切れが悪くなってしまう。
それでも、誘いに乗る気はない。乗ったところで、どうしようもない、とも思う。
(話が合うわけもないし…)しかし、この日の高本は、やけに熱心であった。
「そう言わないでさ。ちょっとでいいから。越野に相談に乗ってほしいことがあるんだよ」
「相談…?」
「そう。おまえを見こんで、知恵を貸してほしいことがあんの」
「え、でも、それだったら」
裕樹は、少し離れた位置に立って、ふたりのやりとりを眺めている市村を見やった。
「僕なんかより、市村くんの方が…」
「それがダメなのよ。市やんは確かに頭イイけど。これは、市やん向きの話じゃないの。な、頼む。ちょっとでいいから」
片手拝みに、頼みこまれて。裕樹は、それ以上の拒絶を封じられてしまう。
「じゃあ、少しだけなら…」
要領を得ない用件だし、まったく気は進まなかったが。押し切られるかたちで承諾してしまった。
「悪い。恩にきるぜ」
……というような次第で、不揃いな三人組は、夕方のファースト・フード店の一角に座をしめていた。
「越野、ほんとにそれだけでいいのか? 遠慮すんな、好きなもん食えよ」
自分は三つもハンバーガーを買って、さっそく一つ目にカブリつきながら、高本が聞いた。せっかく奢ると言ってるのに、コーラしか頼まなかった裕樹に納得がいかないらしい。
「う、うん、僕はいいよ。これで」
裕樹は、別に遠慮したわけではなくて。こんな時間に間食したら、母の作ってくれる夕食が食べられなくなるし。
なにより、長居をする気はさらさらないのである。
「……それで、相談って?」
だから、自分から切り出した。とっとと話を終わらせて帰りたい。
「ああ、それなんだけどさ」
秒殺したバーガーを、コーラで流しこんだ高本が、真面目な顔を作る。
「実は、相談ってのは、俺の友達の話なんだけど」
「友達? 高本くんの?」
「ああ。そいつが悩んでるんで、俺も力になりてえんだけどよ。どうも、わからなくてさ」
ずいぶん迂遠な話だな、と裕樹は思った。
高本の友人といえば、宇崎達也と市村くらいしか思いあたらないが。
(まあ、宇崎の場合は、友人というより親分子分の関係に見えるけど)
市村は、いま高本の隣で、押し黙ってコーヒーを飲んでいるし。
高本の気安い口ぶりから、宇崎達也のことだとも思えなかった。
他の学校のワル仲間ってとこか、と裕樹はテキトーにあたりをつけた。
「そんで、越野なら、なんかズバッと、いいこと言ってくれるんじゃないかと思ってよ」
そこがわからない、と疑わしげな顔になる裕樹には構わず、高本は続けた。
「で、どういう問題かっつーとだな。ぶっちゃけ、“女”のことなんだわ」
「えっ?」
「そのダチにさ、好きな女が出来たんだけど。いろいろムズかしくて悩んでるんだな」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
慌てる裕樹。よりによって、そんな類の問題だとは思わなかった。
「そ、それで、なんで僕なの?」
「だってさ、市やんは、この手のことにゃあ、まるで興味ないし。俺も、ハズカシながら、あまり得意じゃないんだよなあ」
「そんなの、僕だって…」
「んなこたあ、ねえだろう? 越野は顔もいいし、女子にも人気あるじゃん」
「そ、そんなことないよ」
「それによ、こないだのことでわかったけど、肝も座ってるしな。なんつーか、大人っぽい感じがするんだよな」
妙に熱をこめて、もちあげる高本だったが。同じ口で、つい数日前までは裕樹を小学生呼ばわりしていたのだから、やはり無理がある。
「………………」からかわれているのかな? と当然な疑いをわかせる裕樹。
しかし、高本の口ぶりには皮肉や揶揄の調子はなかった。
だいたい、オチョくることだけが目的にしては、手がこみすぎている、と思う。
「…わかったよ。とりあえず話を聞くよ。僕なんかじゃ、なにもわかんないと思うけど…」
「ああ、ありがてえ。うん、聞くだけ聞いて、越野が思うことを言ってくれりゃいいよ」
気楽に言って、高本は身を乗り出してくる。
「そんでな。そのダチが惚れた女ってのが、まあ、ちょっとムズかしいのよ」
「むずかしい?」
「そう。まず、かなり年上なんだな」
「いくつなの?」
「えーと……いくつ?あの女」隣を向いて、市村に尋ねる。
市村は、ちょっと考えて、
「……三十は越えてるんじゃないか」
「そんなに?え、その高本くんの友達は、いくつなの?」
「タメだよ。な、驚くよな?」
「う、うん」
「たしかにさあ、オレや市やんも見たんだけど、いい女ではあるのよ。顔もいいし、体つきも色っぽいしさ。だけど、なあ?けっこう大きなガキもいるってんだぜ、その女」
「結婚してるの!?」
「う、ああ……えっと」また市村に頼る高本。
「結婚してたけど、いまは旦那はいないらしい。……母ひとり子ひとり、だったかな」
「そうなんだ…」うちと同じか、と裕樹は思った。
「まあ、独りものだから、不倫とかってことにゃあならねえんだけども。なにも、そんな年上に惚れなくたってなあ?」
「う、うん……」
「オレにゃあ、理解できねえんだけどさ。そいつはマジ惚れしちゃってるわけよ。どう思うよ、越野?」
「どう、って……」
「ダチの気持ち、理解できる?」
「え、どうだろ……」
「越野は、どうよ? 年上、好き?」
「そ、そんなの、急に聞かれたって…」
そう言いながら、母のことを思い浮かべてしまう裕樹。
(ママみたいなひとだったら……)などと考えると、満更でもなく思えて。
なんとなくだが、その高本の友人の気持ちもわかる気がした。
「それで……その高本くんの友達は、なにか行動に出てるの?」
裕樹の方から質問した。少しづつ話題に引きこまれている。
「ああ。かなりアプローチはかけてるみたいよ。な?」
「うん。なかなか涙ぐましいものがあるな。あれは」
「そうなんだ。なんか、スゴイね」
「スゴイっちゅうか、まあ、ようやるわとは思うね。あんなオバサン相手によ」
「オバサン……かな?」
その呼び方には違和感があって、つい反駁してしまった。
「うん?」
「い、いや、それくらいの年なら、まだオバサンとは言えないんじゃないかって」
市村の言葉から、裕樹は、話題の女性は三十歳くらいなのだと思いこんでしまっていた。
ならば、裕樹の母・佐知子よりも、だいぶ若い。
美しい母のことを、オバサンなどと思ったことはない裕樹だから、つい、その見知らぬ女性のことも庇いたくなってしまったのだった。
「およ? なに、越野も年上趣味なの?」
「そ、そんなんじゃないけど」
「隠すことねーじゃん。そうかそうか、こりゃ、相談してよかったなあ」
「だから、違うってば」勝手に納得する高本に、躍起になって否定する裕樹。
それを眺めていた市村が口を挟む。
「まあ、年くっても綺麗な女はいるよな」
「そう、だよね?僕も、それが言いたかっただけだから」裕樹は、しきりに頷いた。
「ふーん。じゃあ、オレのダチの気持ち、わかる? 越野には」
「わかるっていうか……そういうこともあるんじゃないかなって」
「ほほう。や、こりゃあ、越野に相談して正解だったなあ、やっぱ」
やけに感心して、そう繰り返したあと。
急に高本はニヤリと口の端を吊り上げて、
「ひょっとしてよう。越野の彼女も年上か?」
「えっ!?」
「その彼女と、とっくに経験ずみなんじゃねえの」
「な、なにを」
軽い冗談のような言葉に、裕樹は、つい過剰な反応をしてしまう。
「お、その慌てぶり。マジかよ?」
そう聞きながら。実のところ、高本は、んなわけねえだろ、と思っている。
こんなガキっぽいチビすけに女なんかいるわけない、勿論ドーテイに決まってる。
「違うよっ」だから、まったく必要もない否定に力をこめる裕樹を、
(なにムキになってやがんだ、バカ)と内心で嘲っていた。
しかし。
確かに、越野裕樹は、幼く奥手で、異性とつきあったこともない、それは事実だったが。
だが、童貞ではないのだ。まがりなりにも、女の体を、セックスを知っているのだ。
しかも、相手は実の母親である。
母子相姦。裕樹自身には、なんの抵抗もないが。社会的には禁忌の行為であることは承知している。
だからこそ、高本の言葉に、思わず過敏な反応を示してしまったのだった。
「……僕のことは関係ないだろ」
それを取り繕うように、つっけんどんに裕樹は言った。
コーラをひと口飲んで、気を静める。
「高本くんの友達の話でしょ?」話題を戻そうとする。
「その、相手の女のひとの、反応はどうなの?」
「どうってなあ。最初はやっぱ、まともには取り合わない感じだったみたいよ。そりゃあ、そうだよな? 大人の女が、中学生に口説かれて、本気にゃあしねえや」
「そうか……そうだよね」裕樹は、深くうなずいた。
(僕とママみたいに、いくわけないもんな)
自分たちのような特別な絆がなければ、と。
「だから、オレも無理だって言ったんだけどさ。ダチは絶対諦めないって。めげずに、アタックし続けてさ」
「……女のほうも」と、市村が話しに加わる。
「熱心に口説かれて、悪い気はしてないみたいだけどな。満更でもないって感じで」
「いやあ、でも、そこどまりでしょう。それ以上は無理だって」
力をこめて、反論する高本。
「オレも、ダチのマジなキモチは応援したいけどよう。でも、中坊がいくらマジになったって、いい年した子持ちの女がオちるとは思えねえんだよな」
「……うん…」
「だから、スッパリ諦めてさ。もっとフツーに、同年代の女を探したほうがいいって、ダチには言ってるんだけども」
「好きなようにやらせときゃいいんだよ」
素っ気なく市村が言うのに、高本は顔をしかめて、
「ってさあ、冷たいと思わねえ?市やんって。共通のダチなのにさ。なあ、越野はどう思う?」
「……うーん……」真剣な表情で、しばし考える裕樹。
「……僕も、難しいとは思う。その友達の想いが叶うのは」
「やっぱ、そう思う?」
「うん。やっぱり、年齢のこともあるし。それに、子供がいるんでしょ?」
「ああ、いるいる。息子がひとりな」
「だったら……母親としての愛情は、なにより子供に向かうと思うから」
「なるほどなあ。確かに、息子を溺愛してるっぽいよ、そのママさんも」
高本は、しきりに感心して、
「いやあ、越野、深いよ。オレが見こんだだけのことはあるぜ」
「あ、いや、あくまでも、そうなんじゃないかって話で」
「謙遜すんなって。うん、そんな女が、中学生の口説きに応じるわきゃねえもんな」
「うん……そう思うけど」でも……と、裕樹は続けた。
「その、高本くんの友達も、無理に諦める必要はないんじゃないかな。どんな相手だって、好きになっちゃったら、しかたないもの」
「………………」高本の顔が珍妙に歪んだ。
それが、吹き出しそうになるのを懸命にこらえているのだとは、裕樹にはわからない。
「どうしたの?」
「う、あ、いやあ」
「……越野って、大人な考えを持ってるんだな」
笑いの衝動と戦う高本を、市村がフォロウする。
「え、そんなこと、ないけど」
「ゲホン、うう……いや、まいった」咳払いで誤魔化して。
「そうかあ……そうだな、真剣に想い続けてれば、いつか叶うかもしれないしなあ」
頬をヒクつかせ、上擦った声で、高本は言った。
裕樹は、うん、と頷いて、
「そうなると、いいね」率直な心情を口にした。
「越野ッ」いきなり叫んで、腰を上げた高本が、裕樹の肩を掴んで、激しく揺さぶる。
「なっ、ちょっ」
「オマエは!いいヤツだなあ!」嬉しそうに言って。ゲラゲラと笑った。
ついに爆笑を堪えきれなくなったのを力業で誤魔化したのだった。
「ちょ、やめてよ」周囲の目が痛くて、裕樹は必死に制止したが。
お構いなしに、気が済むまで裕樹の華奢な体を揺さぶって、笑いを響かせた高本。
やがて、ようやく笑いをおさめて、裕樹を解放して、腰を下ろす。
「いやあ、スマン、ついコーフンしちゃってよ」
イカつい顔は、まだ笑み崩れて、赤く染まっている。
「越野、いいよ、おまえは。男気がある。それに優しいしな」
少しグッタリとしている対面の裕樹を、上機嫌に持ち上げて、
「どうよ、市やん? 市やんにも、少しは越野の優しさを見習ってほしいね、オレは」
「そうだな。俺も、ちょっと感動した」
「やめてよ、ふたりとも…」
恥じ入るように肩をすぼめて、裕樹が呟く。しかし、悪い気はしない。
裕樹にしても、高本と市村の友人思いに、見直した気持ちになっていた。
「越野のおかげで、今日は有意義な話になったよ。アリガトな」
「そんな、たいしたこと言ってないし…」
「んなこたあ、ないって。また相談にのってくれよ」
「え、あ、うん、いいけど…」また? と迷いながらも、結局承諾する。
この程度なら、つきあってもいいかと思ったし。高本の友人の恋の行方にも
興味を抱かされてしまっていた。
「ありがてえよ。市やんが、この通りの冷血人間だからさ。他には話を聞いてもらえるヤツもいなくて」
高本の言葉に、裕樹は、ふと思いあたって、
「宇崎くんは?」
「……宇崎クンに、相談しろって?」
「あ、うん、ダメなの?」
「そうだなあ……宇崎クンになあ……相談できりゃあ、いい、けど」
「達也も、他人の恋愛沙汰なんかに興味はないタイプだから」
「そうなんだ……」
「……悪い、オレ、ちょっとトイレ」
裕樹から顔を背けるようにして立ち上がった高本は、足早にトイレへと向かった。
「……?」キョトンと、それを見送って。
裕樹が視線を戻した先には、呆れたような感心したような微妙な表情で見つめる市村の顔があった……。
「……もう、死ぬかと思った。便所駆けこむなり爆笑。まだ腹イテえもの」
裕樹と別れてからの、ふたりの会話。
「越野って、ステキすぎ」
「まあな」
「市やん、よくあんな平気な顔してられるよ。アンタの血、何色よ?」
「いや、正直、辛かった」思い出して、口元を歪める市村。
「……おかしかったのはさ、アイツの反応が、達也から聞かされてる越野ママと通じるものがあってさ。やっぱ、親子なんだなあとか」
「ダハハ、やっぱ、遺伝ってやつ?どんどん、こっちの思うツボにハマってくれるってのが、越野家の血のなせるワザ?」
「期待以上だろ、あれは」
「だよねえ。今日はツカミ程度だから、そんなに盛り上がらないかと思ってたのに。オミソレしちゃったな」
「おそるべき才能だな、ある意味」
「今後の“報告会”が、スッゲエ楽しみになっちゃったよ」
「まあな。……あ、ひとつ気にかかったんだけど」
「なに?」
「おまえ、越野って、やっぱり童貞だと思う?」
「はあ? あったりまえじゃん、そんなの」
「……まあ、そう思うよな。いや、その話題の時の反応が、ちょっと妙だったから」
「ないない。あんなガキ、相手にしてくれる女なんかいるわけないじゃん。あのエロい母ちゃん以外に、女と口きいたこともないって、きっと」
「……だよな…」
(母親だけ、か……)市村は、裕樹と佐知子の姿を思い浮かべてみる。
(……そりゃないか。あの母子には…)
隠微な影を見ることが出来ずに、この時は疑惑を打ち消した。
……今日も、佐知子は達也のそばにいる。
朝、出勤してから、午後も夕方に近づいた、この時間まで。
ほとんどの時間を、ふたりきりの病室で過ごしている。
静かに穏やかに、時間は過ぎていた。何事もなかったかのように。
達也も佐知子も、昨日のことは、一言も口にしなかった。
つい昨日、この部屋で起こったこと−達也が佐知子への恋慕を告白したことも、佐知子が達也の若い欲望を、その手で処理したことも。
けっして話題にされることはなかった。
ベッドに横たわった達也と、その傍らに椅子を引いた佐知子。
達也が他愛もない会話をしかけ、佐知子が言葉すくなに答える。
そんなふうにして、ありあまる時間を消化していく。
昨日までと、なにも変わらぬような光景。まったりと。静かに。平穏に。
しかし。無論、それは表層だけだった。
ふたりが、前日のことを忘却しているわけがなかったから。
達也は、いつものように、あれこれと佐知子に話しかけながら。
時折、フッと言葉を途切れさせて、佐知子を見つめた。
昨日までなら、ここで臆面もない賛美を口にして佐知子を赤面させているところだったが。
今日の達也は、なにも言葉にはせず、ただ、深い感情を湛えた眼で、佐知子を見つめた。
佐知子の反応も、昨日までとは変わっていた。
なに? と何気ないフリを装って聞き返すこともなく、なにか話題を持ち出して雰囲気を変えようともせず。
ただ佐知子は、気弱く眼を伏せて。頬に熱を感じながら、達也の熱い視線に耐えていた。やがて、達也が表情を戻して、新たな話題を口にするまで……。
そんな奇妙な無言劇を(表面的には)穏やかな会話の間に差し挟み、何度か繰り返して。
その度に、息がつまるような重苦しさを、少しづつ沈殿させながら。
長い午前と長い午後が過ぎていった。
達也も、少しづつ口数が減っていって。ふたりきりの病室には静寂の時間が増す。
静かさは、張りつめた室内の空気を、いっそう強調するようだった。
それに耐えかねたように、佐知子は何度か立ち上がって、窓を開閉したり、カーテンを調節したりと、仔細なことに立ち動いたが。
なにか口実をつくって、部屋を出ていくことはしなかった。
落ち着かず、緊張して、なにかに怯えるような色を滲ませながら、病室に、達也のそばに留まっていた。
……達也は、そんな佐知子をジックリと眺めて。そして、
「……たまには、外の空気が吸いたいな」
そう言ったのは、窓から望む空が赤く染まり始めた頃だった。
「ゴメンね。我がまま言って」達也が言った。
左に松葉杖を突き、右側を佐知子に支えられて、ゆっくりと階段を上りながら。
「……いいのよ…」短く、佐知子は答えた。どこか、上の空に。
達也の脇下に肩を入れるようにして、体を支えているのだが。
この体勢では、達也の言葉は、直接耳に吹きこまれるようなかたちになって、佐知子の鼓動を速め、気をそぞろにさせるのだった。
「優しいね。佐知子さんは」また、達也の声が、すぐ近くで響く。
佐知子は、意識して視線を下に向け、足元だけを見るようにした。
密着した肩や胸に、達也の体の重みがかかっている。
硬く、しなやかな肉体の感触。熱と匂い。若い男の。
意識するまいと思っても、どだい無理なことだった。この状況では。
逃れようもなく迫ってくる、若く逞しい男の肉体の特徴が、佐知子を息苦しくさせる。不安な情動を喚起する。
「ひょっとしたら」慎重にステップを踏みしめながら、達也が言った。
「今日からはもう、佐知子さん、来てくれないんじゃないかって。心配だったんだよね。昨日、あんな…」
「達也くん、そのことは、もう…」
この日はじめて昨日のことに言及しかける達也を、佐知子が制止する。
「佐知子さん、まだ怒ってるの?」
覗きこむようにする達也から、佐知子は顔を逸らして、
「そうじゃ、ないけど……私も軽率すぎたと反省しているの。
 だから、昨日のことは、もう忘れてちょうだい」
「僕が、佐知子さんに好きだっていったことも?」
「……そうよ…」
「それが、佐知子さんの答えなの?」達也の声が、冷たく無感情なものに変わる。
ハッと、佐知子が顔を上げたところで、階段が終わった。
達也は、表情を隠すように顔を背けて、佐知子から体を離した。
「それが、佐知子さんの気持ちなら……仕方ないよね」
顔を背けたまま、そう言って、鉄扉を押し開けた。
開いた扉の向こう、屋上へと、ひとり踏みこんでいく。
「達也く……」
咄嗟に呼び止めようとして。しかし、なんと言っていいのかわからずに。
佐知子は、無意識に、自分を抱くようにまわした腕で、達也の重みと温もりを喪った肩のあたりをギュッと掴みしめて。
ようよう足を踏み出して、達也の後を追った。
陽はさらに傾いていた。屋上には、人気はなかった。
達也は器用に杖を操って、フェンス際へと進んだ。
高い金網越しに、夕方の街並みを見下ろす。
その数歩後ろに、佐知子は佇んだ。
「いい眺めだな。気持ちいいや」
ひとりごとみたいに呟いて。その後、達也はしばし沈黙した。
「…………」
佐知子は、やはり掛ける言葉を見つけられずに、不安そうに達也の背を見るだけだった。
後悔に似た感情が、胸を締めつける。
馬鹿げたことだと思って、しかし、今さっきの自分の言葉を打ち消してしまいたいという衝動を払うことができず。
「……あ、あの…」
その後に、どんな言葉を続けようとするのか、自分でもわからぬまま佐知子が小さく震える声を吐き出した時。
ゆっくりと、達也が佐知子へと振り向いた。
「やっぱり……フラれるなら、ちゃんとフラれておきたいな」
達也は言った。淡々と、しかし、その端正な面には、自嘲の苦い笑み。
「そうじゃないと、諦めがつかないから」
「そんな、フるとかフラれるとか、そういうことじゃ…」
「だって、佐知子さんは僕の想いを受け入れてはくれないんでしょ?」
「それ…は……」
「だったら、やっぱり僕は佐知子さんにフラれたってことになる」
「だから、そうじゃなくて」
苦しげに眉を寄せて、達也の言葉を否定する佐知子。
“その通りだ”と、言ってしまえば、落着するはずなのに。
どうしても、自分が達也を拒んだとされることを看過できなかった。
「そうでなければ、なんなのさ?」達也は、わずかに苛立つ気配を見せて、
「……もしかして、佐知子さん、まだ僕の気持ちを疑ってるの?」
「……疑う、というんじゃ、ないけど……」
「けど、信じることも出来ない?」
「…………」無言の肯定に、達也は深く嘆息して、
「ひどいな。拒まれるのは仕方ないけど……想いを信じてさえもらえないなんて」
「違う、違うのよ、達也くん」
痛切な響きに胸を刺されて、佐知子は、己が心の核心に近い部分を吐き出す。
「達也くんを、達也くんの気持ちを、疑うんじゃないの。ただ…どうしても、それが私だということは、信じられないのよ」
整理のつかない感情を、そのまま言葉にする。
「どうして?」
「だって、私はこんなオバサンで……達也くんと同じ年の子供もいるのよ?」
「それが?」
「それが、って…」
「確かに、佐知子さんは年上の女性だ。僕からしたら」
親子ほどの年の差を、それだけで片づけて、
「年上の、すごく綺麗で、とても優しい女のひと。それが、僕にとっての佐知子さんだ。そんなひとに惹かれてしまうことが、そんなにおかしなことかな?」
「………………」
達也の言葉には、少しも迷いがなく。その眼はあまりにも真っ直ぐで。
佐知子を呪縛して、言葉を失わせる。
危険だ、と。佐知子の意識のすみで、理性や常識が叫んでいる。
このまま、達也の言葉に耳を傾けてしまうことは。
「……年上っていっても……限度が、あるわ……」 どうにか、声を絞り出した。
「限度って?誰が決めるの、そんなこと。年の差がいくつまでならよくて、いくつからはダメなのさ」
「そんなの……常識的に……」
「だから、誰が決める常識なのさ?世間一般とか、社会的にってこと?知ったこっちゃないよ、そんなの」
一言で、達也は斬り捨てる
「……乱暴よ……達也くん……」弱い呟きには、反論というほどの力はなかった。
達也の乱暴な強引な言葉が、とても心地よく胸に響いてしまう。
自分を縛りつけるもの、立場だとか良識だとか、こだわりやしがらみが、ひたすら純粋な想いによって、引き剥かれていく。
これを……畏れていたのだ、と佐知子は知った。
こうなることが怖くて。しかし、本気で避けようとしていただろうか?
この時に辿りつく前に、逃げようはあったのではないか?
本当は……恐れながら、待っていたのではないか?
「……佐知子さんが」達也は続けた。
いまはもう、神の裁きを待つようなか弱い風情で、彼の前に立ち尽くす佐知子へと向けて。
「僕のことを、子供としてしか見れないというなら。佐知子さんにとって、僕が、あくまでも息子の同級生で、担当の患者でしかなくて。どうしても、ひとりの男として見ることが出来ないっていうなら。それだったら、どうしようもない。僕も、諦めるしかない。僕と佐知子さんの年齢差が問題になるのは、その場合だけさ」
落ち着いた声で。また一歩、佐知子を追いこんでいく。
「どうなの?佐知子さんには僕は子供でしかないの?僕を、男だとは感じてくれないの?」
「………………」佐知子は答えられない。
達也が、まだ中学生で、息子の裕樹と同い年であるという事実。
達也と共にある時に、それを意識することは、ほとんどなかった。
達也は、佐知子がこれまでに出会ったどんな男よりも、大人で。
度量が大きくて。不可解で。魅力的で。
……逞しい肉体を持っていて。
達也は、まぎれもなく“男”だった。佐知子にとって。
佐知子が、これまで生きてきた中で、最も強く“男”を感じる存在だった。
そんな己の意識を、あらためて確認させられて。
だから、佐知子は、達也の問いに答えることが出来なかった。
ふいに、達也が動き出した。
杖を突いて、ゆっくりと佐知子へと歩み寄ってくる。
「……あ…」佐知子の顔に怯えが浮かんで。
しかし、足は竦んで。達也に駆け寄って補助することも、踝を返して逃げ出すことも出来ないまま。
ただ、夕暮れを背景に近づいてくる達也の姿を見つめていた。
やがて、達也が佐知子の眼前に立ちはだかる。
とても近くに立って、静かな深い眼で、佐知子を見下ろした。
「……僕は」茫然と見上げる佐知子に、静かな声で語りかける。
「佐知子さんも、少しは、僕のこと、好きになってくれてるかなって。思っていたんだけど。自惚れかな?」
「……それ…は……でも……」
視線を逸らすことも出来ないまま。意味のない言葉だけが洩れた。
「だって、佐知子さん、今日も僕のところへ来てくれたじゃない。僕の想いを知ったうえで、それでも来てくれた」
「……それ…は……」ああ、そうなのだ、と。自分の心の謎を解かれてしまって。
諦めにも似た納得の感情が佐知子の胸を満たした。
困惑して、疑って、しかし、自分は達也から離れようとしなかった。
真実、彼を拒みたければ、どうとでも方法はあったはずなのに。
「……で、でもね、達也くん」
残った、最後の理性が、最後の抵抗を試みる。はなから打ち消されることを期待しているような、儚い抵抗を。
「常識とか体裁とか、そんなつまらないモノに用はないよ」
はたして、達也は一蹴してのける。佐知子の望むとおりに。
「知りたいのは、佐知子さんの気持ちだよ。本当の、ね」
「……私、は……」
「佐知子さんは、僕のこと、きらい?」
「……きらいじゃ、ないわ……」断崖。踵が宙に浮いているのを、佐知子は感じる。
「うれしいよ」達也が微笑む。
「でも、それだけじゃたりないんだ」
達也の手が、佐知子の肩にかかって、そっと引き寄せる。
かたちばかりの抵抗も、佐知子は示さずに。
ただ、潤んだ眼を達也に向けていた。
地を踏んでいるのは、もうつま先だけ。危ういバランスを保ち続けることなど不可能なのだと、気づかされて。
「ねえ?」達也が促す。
「……達也くんを……」泣くような声を絞り出した。
「……達也くんを……子供だなんて、思ったことは……ない、わ……」
今ごろ、達也の先の問いに答えることで、心の真実を告げた。
それが、佐知子には精一杯のことで。
しかし、達也は正確に、その意を受け止めて。
「ありがとう」本当に嬉しそうに、微笑んだ。
(……ああ……とうとう……)
認めてしまった、と。佐知子は、取り返しのつかないことを、してしまったという恐れと悔恨を感じて。
しかし、まぎれもない解放の感覚もあって。
開かれた心を急速に満たしていったのは、やはり喜びだった。
新しい恋を得た“女”としての。
「好きだよ。佐知子さん」達也の囁きが、佐知子の酔いを強める。
彼は……いつでも、本当に大事そうに、宝物を扱うように、自分の名前を呼んでくれる……“佐知子さん”と。
「……達也くん…」
自分の声は、どんなふうに聞こえているのだろうか? 彼の耳に。
いま、自分は、どんな顔を彼に向けているのだろうか? おかしくないだろうか。
……急に、居たたまれないような恥ずかしさを感じて、俯く佐知子。
だが、頤に添えられた達也の手が、そっと仰のかせる。
「達也、く…?」
ゆっくりと、達也の顔が近づいてきて、佐知子は呼吸を止めた。
顎にかかった達也の手の力は弱かった。
振り払うことも、迫る達也から顔を背けることも、容易いことだったのに。
しかし、佐知子は、そうしなかった。
佐知子は、ただ呆然として、達也の顔が接近するのを許して。
そして、唇が重なる寸前に、そっと両眼を閉じたのだった……。
残光に照らされる屋上。
ふたつの影は、ひとつになって。長い間、離れようとしなかった。
−10−
……いつも通りの、夕食の風景。
母子ふたりきりだから、賑やかに、とはいかないが。
穏やかで、和やかな団欒の雰囲気。
「裕樹、おかわりは?」
「うん」たとえば、たったそれだけのことが、裕樹には嬉しい。
裕樹から頼むより先に、母が空の茶碗に気づいてくれたというだけのことが。
それは、母がちゃんと自分を見てくれているということだから。
ここ数日、しきりに考え悩むようすを見せて、大事な夕食の時間も味気ないものにしていた母だったが。
今日は本来の姿に戻っている。裕樹の持ち掛ける他愛もない話題に、ちゃんと耳を傾けて、時折茶々を入れたり、笑ったり。
これこそが、あるべき姿だと裕樹は安心した。
「……よかったね、ママ」
「え?」唐突な裕樹の言葉に、佐知子がキョトンとする。
「仕事のことで悩んでるって言ってたけど。解決したんでしょ?」
普段は母の仕事のことに口ばしを挟んだりしない裕樹だが。
問題が片付いたということなら、軽く触れるくらいはいいだろうと思ったのだった。
無論、それがどんな問題だったかは、裕樹はまったく知らないのだが。
「え、あ、そう、ね……」
佐知子が、うろたえたようすを見せるのが、裕樹には可笑しかった。
ママ、驚いてるけど。僕だって、これくらいの気遣いは出来るんだ……と。
得意な気持ちになって、
「よかったね」もう一度、そう言って。笑顔を母に向けた。
「え、ええ……ありがとう」食事が終わって。裕樹は風呂へ向かった。
流しに立って洗い物をはじめながら、佐知子はフッと息をついて、肩の力を抜いた。
裕樹の前で見せていた常と変わらぬ態度は、佐知子が意識してとっていたものだった。
“いつもどおり”を演じていたのだ。
(……ごめんね……裕樹……)
それは、信じあうべき家族を、騙したということだから。
自分の演技を素直に信じて、無心に喜んでくれた裕樹を思うと、なおさら胸は痛む。
だが、それでも、絶対に気づかれてはならないのだ。
自分のうえに起こった変化。かかえこんだ秘密。
……達也の想いを受け容れてしまったこと。
裕樹の同級生、中学生の少年の求愛に応じてしまった。
いまだに信じられない……などと言えば、逃避でしかない。
すべては現実に起こったことだ。
逃れようもない事実……自分は達也に惹かれていた。ひとりの男性として達也を意識して、熱い感情を抱かされていた。
必死に目を背けていた、その想いを。今日、ついに認めさせられてしまった。
なんということを、してしまったのかと思う。
息子と同じ年齢の若者に恋慕を抱くことも愚かだが、その感情を露にしてしまったことは、いっそう愚かだと。
あの時には……そうすることが、唯一正しいことのように思えたのだったが。
達也と別れ、時が経つほどに、悔いる気持ちが大きくなっていく。
これから、どうなるのか? と、考えると暗澹たる思いにとらわれる。
自分が応じたことで、達也とは相違相愛の間柄ということになったのだろうが。
それで、明るい前途など、思い浮かべられるわけもなかった。
なによりも恐ろしいのは、事実が露見したら、という想像だった。
そんなことになったら……身の破滅だ。
自分のためにも、達也のためにも。
この“恋”は、絶対に秘匿しなければならない。
佐知子にとって、最も警戒すべきは、当然、息子の裕樹だった。
最も身近にいる存在。
また、万が一にも、事実を知った時に、裕樹が受けるだろう衝撃を慮れば…。
それは、佐知子には恐ろしすぎる想像だった。
だから。今夜、必死に平静を装ったように。
これからも裕樹の目を欺いていかなければならないのだ。
(……ごめんね、裕樹。ごめんなさい……)
また、胸の中で我が子に詫びる。
母親たる自分が、息子に秘密を持つこと。
母でありながら他の存在に(それも、我が子と同い年の少年に)想いを向けてしまうこと。
ただ、佐知子には、相姦の関係にある息子を、恋人として裏切るという意識は
ほとんどなかった。
それは、もともと佐知子にとっては、肉体を重ねることも、我が子への溺愛の延長上にあったからだ(逸脱していることは、さすがに自覚していたが)。
佐知子にとって、裕樹は、あくまでも子供であって、“男”ではなかった。
(……ママをゆるして……)
だから、裕樹への罪の意識は、母親としてのもので。
しかし、赦しを乞うということは、過ちと知りながら、そこから引き返すつもりもないということだった。
……この“恋”は短く、必ず悲しく終わるはずだから、と。
そんな悲愴な悟りを免罪符として、
(……だから、いまは……いまだけは……)
そう、自らをゆるそうとする佐知子の。
心の傾きは、彼女が自覚しているよりもずっと深いようだった。
……だって、仕方がないではないか。
自分だって、女だから。
あんな、魅力に満ちた若者に。
あんなに、ひたむきな想いを向けられたら。
あれほどに、純粋な瞳で見つめられたら。
あのように、優しい声で囁かれたら。
心、動かされてしまうのも、無理もないことではないか。
生身の女なのだから。この身も心も、木石で出来ているわけではないから。
あんな、逞しい腕で抱きしめられたら。
(……あんな……キスをされたら……)
佐知子の頬が、ポーッと上気して。かすんだ双眸には潤みがます。
流しに立ったまま、食器を洗う手は最前から止まっている。
濡れた手が、そろそろと持ち上がって。
指先が、ふくよかな唇に触れた。そっと。
あんな……口づけは、知らない。知らなかった。
あれほどの、情熱と技巧を受けたことはなかった。
あんなにも、熱くて激しくて甘いキスは……。
「……あぁ……」切なく、熱い吐息がこぼれた。
佐知子は、ギュッと己が体を抱きしめて、身の内の熱に耐えた。
思い出すだけで……腰がくだけそうになる。けっして消え去ることのない愉楽の記憶。
唇に残る余韻だけで、悔恨も不安も薄れていってしまう。
「……達也…くん……」堪えきれず、その名を呼んだ。ひっそりと。
明日になれば、また自分は、達也の待つ病室へと向かう。
これからどうなるのか? と恐れながら。どんな顔で会えばいいのか、と羞恥しながら。
それでも、足は急くのだろう。少しでも早くと、心は逸るのだろう。
会いたい。
結局は、その想いが胸を満たしていって。
佐知子は、また切ない息をついた。
……静かな病室。
聞こえるのは、かすかな衣擦れの音と。
「……ふ……ん…」乱れた呼気に混じった、細く弱い鼻声。
そして、隠微な濡れ音。
白い明るい部屋にそぐわない、それらの響きは、ベッドの上から。
上体を起こした達也の腕に、肩を抱きかかえられて。
白い喉を逸らして仰のいた佐知子が、口を吸われている。
不自然にねじれた白衣の腰がベッドに乗りかかって、白いストッキングに包まれた脚が宙に浮いているのは、強引に抱き寄せられたことの証左だろうが。
しかし、いまは佐知子は抵抗の動きは見せずに、ただ、達也の胸に力弱く突いた手にその名残をとどめているだけだった。
ピッタリと合わさった唇の間から、湿った音がもれる。
閉じた瞼も、白皙の頬も、ボーッと上気させた佐知子は、甘く鼻を鳴らして、達也へと倒れかかった身をよじった。豊満な肢体を包んだ白衣が、
シーツを擦って、かすかな音をたてる。
佐知子の態度は、あくまで受動的なものではあったが。しかし、彼女が行為に耽溺しきっていることは確かなように見えた。
……やがて。ようやく達也が口を離して。濃厚な口吻は中断した。
「……ふぁ……はあ……」佐知子は解放された口を開けて、新鮮な空気を求める。
半ば開いた眼で、ボンヤリと達也を見上げた。
「……また……病室で、こんな…こと、を……」
弾む息の下から、切れぎれに、そう言ったが。
その瞳は蕩け潤んで、眼元も頬も血の色を昇らせて。濡れて、しどけなく緩んだ唇から洩らす声は、恍惚に震えているのだから。少しも責めているようには聞こえない。
「……いけないのよ……こんなこと……」
恨めしげに、達也を上目遣いに見る表情も、かすかに甘い媚びが滲んで。
実際、いけないと言いながら、佐知子はまだ達也の腕に身を委ねたままで。
片手は、達也のパジャマの胸元を掴みしめていた。
「いいじゃないか」達也は、気楽に笑って、
「ここは、僕と佐知子さん、ふたりきりの場所なんだから」
顔を寄せて、ことさらに秘密めかした声で、佐知子の耳に囁いた。
耳朶に吹きかけられる達也の吐息に、佐知子はゾクリと細い首をすくめて、
「……もう…」
また、責めるようにそう言ったが。
そんな言葉の逐一が、どうにも言いわけじみていることは、自分でもわかっていた、あの夕陽に照らされた屋上での、最初の口づけから、二日。
すっかり恋人気分の達也は、ことあるごとに佐知子を引き寄せて、キスをしかけてくる。
そして、佐知子は、一度もそれを拒みきれたことがなかった。
どころか、回数を重ねるほどに、抵抗は短く弱くなって。
達也の強い腕に抱かれて、長く濃密な口舌の戯れに酔わされて。
ことが終わったあと、夢心地の中で、つけたしのように達也の強引さを責める。
まったく言いわけでしかない言葉を口にすることで、勤務中に、担当の患者と、淫らな行為に耽った自分を正当化する。
そんなことを繰り返していた。
唇を重ねるごとに、達也への傾倒を深めていく自分を、佐知子は感じている。
かたちばかりの事前の抵抗とは逆に、口づけを解かれた後、達也から身を離すまでの時間は、どんどん長くなっている。
達也が言ったように、ふたりきりの病室であるのをいいことにして。
いまも佐知子は、達也の腕に体を預けたままで。乱れた息を整えながら、うっとりと達也の顔を見上げていた。
(……もう少し……こうしていたい……)
快楽に蕩けさせられた思考は、そんな素直な願望に支配される。
頭や心だけでなくて、体も、すぐには再起動できそうになかった。
深い愉悦の余韻に痺れて、力が入らない。
引かない熱が、いっそう気だるさを強めるようだった。
「ずっと、こうしていたいな」達也が囁く。
「こうして、佐知子さんを抱きしめたまま、いつまでも過ごしていたい」
佐知子の肩を抱いた手に、力がこもる。
(……あぁ……)
達也が、同じ想いでいてくれることに、泣きたいような幸福を感じながら。
「……でも」いまこの時の歓喜が、佐知子に未来への悲観を口にさせる。
「……達也くんは、怪我が治ったら……この部屋を出ていく……」
それは、遠い先のことではない。
「……ここを出たら……すぐに、私のことなんか、忘れてしまうわ……」
それは、佐知子が心に留め置こうと努めている覚悟だった。
あまり、達也にノメりこまないようにとの戒め……その効果のほどは怪しかったが。
「まだ、そんなことを言うの?」
「……そうなったほうが、いいのよ、きっと。そのほうが、達也くんの……っ!?」
分別めかした言葉は、半ばで封じられる。達也の唇に。
「んんっ」驚き、咄嗟に振り解こうとする佐知子の抗いを、頬にかけた手で抑えて。
「…ん……ふ……」
スルリと潜りこませた舌の動きで、瞬く間に佐知子から抵抗を奪っておいて。
一度、口を離した達也は、額を合わせるようにして、佐知子の、早くもトロンと霞がかった眼を覗きこんだ。
「聞きたくないから、塞いじゃったよ」
不敵な笑みを浮かべて、そう言った。
「これからも、そんなこと言うたびに、同じようにするよ」
「……達也…くん……」
「それとも、最初からこうしてほしくて、そんなこと言ったのかな? 佐知子さんは」
「そ、そんなこと……」ああ……そうでないと、言い切れるだろうか? 本当に。
少なくとも、自分の悲観を達也に否定してほしい気持ちが、確かにあったのだと、佐知子は気づく。
まるで子供じみた、自分の心の動きに恥じ入りながらも。
達也へと向ける眼に、物欲しげな色を滲ませてしまう。
しどけなく開いた口の中で、舌が誘うようにそよいでしまう。
そして。達也は、それに応えてくれる。
「信じさせてあげる。僕のこと、もっと」そう宣告して。再び、顔を寄せた。
佐知子は、僅かな抵抗も見せず、そっと目を閉じて、達也の唇を受け入れる。
続けざまの口吻に、達也は、いつもの擽り焦らしたてるようなプロセスの技巧を省略して、いきなり激しい勢いで、佐知子の肉感的な唇に吸いついた。
挿しこんだ舌で、佐知子の口腔を舐めまわし、可憐な舌を絡めとった。
佐知子は、荒々しい蹂躙を喜ぶように、フウンと鼻を鳴らして。
達也のパジャマを掴んだ手にギュッと力がこもる。
(もっと、もっと。信じさせて。もっと)
紅く染まった意識の中で、何度も叫んだ。
苛烈さの中に、確かな巧緻をひめる達也の舌が、繊細な粘膜を擦りたてるたびに、瞼の裏に火花が散った。
こんな口づけは知らない。こんなに熱くて、こんなにも甘美なキスは。
達也が教えてくれた、達也に教えられた悦び。
その数を増やすごとに、佐知子の唇も舌も、未知の感覚に馴染んで。
馴染むほどに、より愉悦を深めていく。
(もっと……もっと、教えて)
このはじめてしる快楽に浸らせてくれ、と。
佐知子は、自分からも必死に達也の舌を吸って。
流れこむ達也の唾液を、喉を鳴らして飲んだ。
熱い滴りを臓腑に落とすことで、己の血肉が、達也の色に染められていく気がして。
それに、身震いするような幸福を感じながら。
……長く濃厚な口吻に溺れこむうちに。
佐知子の体勢は崩れて、もはや仰向けに倒れた状態になっていた。
しかし、佐知子は、そんな変化を気にかける余裕もなく。
その量感に満ちた肢体に圧し掛かかって、執拗に口をねぶってくる達也の肩にしがみついて。夢中で激しい行為に応えていた。
その眉宇は、うっとりと広がって。
閉じた眼元や、火照った頬を艶かしい桃色に染めて。
吹き広げた鼻孔から、火のような息をついて。
互いの唾に濡れて、ヌメ輝く肉厚の紅唇を、達也のそれへと押しつけ、自分からも舌を挿しいれて、達也の口腔を味わっている。
(……フン。お手軽だぜ、まったく)
口舌の技巧を緩めることなく、佐知子の昂ぶりを煽り続けながら、達也は薄く開いた眼で、冷徹に観察していた。
なんだかんだと言いながら、チョイと吸ってやれば、途端に溶け崩れて発情のさまをあらわにしがみついてくる年上の女を嘲笑う。
また、ドロリと大量の唾を流しこんでやる。佐知子は嬉しげに鼻を鳴らして、嚥下した。
細かな汗をかいた白い喉が波打つ。
汗は、佐知子の鼻頭や額にも滲んでいた。シーツの上に乱れて、ナース・キャップのズレた黒髪も、ジットリと汗をはらんで、強い香を放っている。
発情した牝の匂いだと、達也は知っている。
それも、熟れた肉体に、タップリと欲望をためこんだ雌ブタの臭いだ。
熟れきって、渇いて、餓えて。しかし、それを自覚していない。
気づいていないのは、お粗末なセックスしか経験していないからだ。
本当の性の悦びを知らないから、貞淑ヅラが出来る。本人も、そう思いこんでいるが。
この手の“淑女”こそ、見知らぬ快楽を教えられれば、狂う。
爛熟したまま捨て置かれた肉体は、乾いたスポンジか旱魃の大地のようなもので。
一滴の快楽は、あっという間に沁みこんで。そうして、はじめて己の渇きに気づいて。
その後は、いままでそんな世界を知らずに過ごしてしまったことの恨みを晴らそうとするかのごとく、
際限もなく快楽を求め、色情に狂っていく。
……だから、熟れた年増女は、それもお堅いタイプの女ほど、チョロい。
とは、経験から導かれた達也の認識である。
狙ってオトせなかった女も、自分にコマされて従属しなかった女も、過去にはいないから、達也としては、己の結論を疑う余地もない。
わけても。
もっとも新たな獲物である佐知子は、その典型だと思えた。
いくら、達也の超絶技巧とはいえ、たかがキスだけで、この乱れよう。
それは、達也の思惑以上に靡いてしまった佐知子の心のせいでもあろうが。
なにより、貧弱なセックスしか知らず、快楽に慣れていないことが原因だろう。
なにしろ、最初は舌のからめかたひとつ知らなかったのだ。
度重ねた“レッスン”で、どうにかサマになってきたが。
まったく死んだ亭主とやらは、いったいなにをしていたのかと、達也は呆れたものだった。
(つくづく、俺と出逢えてよかったなあ、佐知子)
倣岸な述懐は、実はマジメに、そう思っている。
経緯はどうあれ、ヤラれた女は自分に感謝するようになるんだから……と。
これまた、達也の経験上では、ひとつの例外もない事実だから、タチが悪いが。
(……さて、と)
ボチボチ、“レッスン”を次に進めてやろうと考える。
じっくりと佐知子を追いこんでいくのは、最初からの予定通りだが。
どうにも、佐知子の反応がいちいち楽しくて。ついつい時間をかけすぎてしまう。
達也は、佐知子の頬にあてていた手を滑らせて。
隆く盛り上がって、呼吸につれて荒く上下している豊かな胸乳を、そっと掴んだ。
「フッ、アアッ」
佐知子は、ビクッと背を逸らして。達也の口の中に、快感の声を吐いて。
それから、愕然と両眼を見開いて、乳房に被せられた達也の手を掴んだ。
「……だ、ダメよっ、達也くん!」
口吻をふり解いて、引き攣った声を張り上げた。胸から達也の手を引き剥がす。
「少しだけ」甘えるように達也は言って、払われた手をすぐに佐知子の胸へと戻していく。
「ダメっ!」胸を肘で庇いながら、佐知子は身をよじった。
しかし、起き上がろうとした動きは、首にまわった達也の腕に阻まれて、
「や、やめて、達也くん、こんな……んんっ」
怯えた声で制止を叫んだ口は、強引に塞がれてしまう。
捕まった舌を強烈に吸われ、ギュッと乳房を握りしめられた。
「ーーーーッ!?」
口腔と胸乳、ふたつの個所から走る電撃のような刺激に、佐知子は顎を反らして、くぐもった悲鳴に喉を震わせる。
その叫びさえ吸いとって、達也の口舌は、なおも仮借ない攻撃を続ける。
その一方で、乳房にかかった手のほうは、力を緩めて、柔らかな肉房を白衣の上から優しく撫でさするような動きに変わった。
「……フ……ム……ンンッ…」
たちまち、佐知子の脳髄は痺れて、眼を開いていることさえ出来なくなる。
苦悶するように眉根を寄せても鼻から洩れる息はどうしようもない昂ぶりを切なく告げて。
乳房を弄う達也の手にかけた指にも、抵抗の力は伝わらずに。
ただ、こらえきれぬ感覚を訴えるかのように、達也の手の甲に爪をたてるだけ。
白いシューズが、揺れる。
宙に浮いた佐知子の片脚。白のストッキングに包まれた肉感美の脚線の先端、
汗に湿って、わずかに蒸れた臭いを放つ爪先に危うく引っかかった、踵の低い靴が。
佐知子の身悶えにつれて、ブラブラと頼りなく揺れている。
……やっと、達也が蹂躙していた佐知子の口腔から舌を抜いて、顔を離す。
佐知子は、涎まみれの唇を大きく開いて、酸欠状態の頭と身体に、空気を送りこんだ。
ゼイゼイと喘ぎながら、苦労して眼を見開く。
「……た…たつや、くん…もう、やめて…おねがい…」
荒い呼吸の中で、弱々しく懇願した。
キスは解かれても、達也の手は、いまだ佐知子の片胸に置かれていて、やわやわと、繊細なタッチで刺激を与え続けているのだった。
「もうちょっとだけ」佐知子の熱い頬にチュッチュと口づけながら、達也は囁く。
「佐知子さんの胸、とっても柔らかくて、キモチいいから」
実際には、まだ、制服と下着越しの接触なのだが。それでも、
そのたっぷりとしたボリュームと熟れきった肉の質感を、達也の掌は感じとっていた。
「ダメ、いけないのよ、こんなこと」
佐知子は、鼻からぬけそうになる声を、必死にはげまして。
わずかに力の戻った腕で、ようやく達也の手を胸から引き剥がすことに成功する。
しかし、弄う指が離れても、胸に巣食った熱い感覚は消えない。
帯電したように、ジンジンと疼き続けている。
(……どうして…? こんなに……)
着衣の上からの軽い愛撫に、これほどの感覚を喚起される自分の身体の異状に怯えた。
「僕に触られるのは、イヤ?」
「そ、そんなことじゃ、ないけど」
わざとらしく、拗ねた口調を作る達也に、律儀に答えてしまって。
ああ、こんな戯言を言っている場合ではない、早く起き上がって、この危うすぎる状態から脱しなければ、と思っても。
身体が動いてくれない。手も足もグッタリと重たくて、腰に力が入らない。
「…ほ、本当に、もうやめて。おねがいよ、達也くん」
だから、佐知子は、せめて腕で胸元を庇うようにして、泣くような声で達也に哀願するしかなかった。
達也は、佐知子の上気した顔を覗きこむようにして。クスリと笑った。
「感じすぎちゃうから?」
「なっ!? ち、ちがう、そんな」
「だって、ほら」達也の手が、佐知子の防御をすりぬけて。
指先が、隆い肉丘の頂を、グッと押した。
「ヒァッ」甲高い悲鳴を迸らせて、佐知子が感電したように仰け反る。
「ここ、硬くなってるみたいだけど?」
「ヒッ、ヤ、やめ、アッ」
グッグッと、さらに数度、強く押し揉まれて、佐知子は断続した叫びを上げて、ビクビクと身体を震わせた。必死に達也の手を掴みしめる。
確かに、これほど強く圧迫されると、佐知子の肉体の変化は、白衣とブラジャー越しにもハッキリとわかった。
硬く尖り立って、より鋭敏になった肉蕾を荒っぽく刺激されて、電撃のような感覚が、佐知子の胸先から全身へと走った。
「やめ、やめてやめてっ、アッ、アア」
激しく首をふって、訴える佐知子の髪は、さらに乱れて、ナース・キャップは完全に外れてしまう。ジタバタと暴れる足からは、シューズが床に落ちた。
「感じやすいんだね、佐知子さんは」
「いやぁ……」
優しげな達也の囁きが揶揄にしか聞こえず、佐知子は力なく頭をふった。
激しい羞恥と、ズキズキと響く鮮烈な感覚に、涙が滲んだ。
「おね…おねがい、だから、達也…くん」
達也の手を、止めるというよりは縋るように掴んで、涙声で哀訴する佐知子。
「どうしたの? 気持ちよくなってくれてたんじゃないの?」
「ち、ちが…ダメなの、こんな」
「いいじゃない。ここには僕と佐知子さんしかいないんだから。もっと気持よくなってよ」
そう言って、達也は、佐知子の胸を責めていた手を移動させて、
スッと脇腹を撫でさすった。
「ヒッ、アッ」
途端に、佐知子は高い声を上げて、ビクビクとくびれ腰をくねららせる。
まるで、薄皮を剥かれたように全身の神経が鋭敏になっていて、達也のごく軽い接触に、過剰な感応をしてしまう。
「フフ、可愛いよ、佐知子さん」
なおも脇腹から腰のあたりを撫であげ撫でおろして、佐知子を悶えさせながら、達也は笑って。汗を浮かべた佐知子の鼻にチュッと口づけた。
「だ、ダメ、ダメ、達也くん」
うつつに口走りながら、佐知子は、身体の側面を這う達也の手を払おうと、甲斐のない抵抗を示す。
押し流されてしまいそうな自分を自覚しながら、どうすることも出来ずにいた。
どうして、達也の手は、こんなにも心地いいのだろう?
これくらいなら……こうして、服の上から触れられるだけなら……と、
優しい慰撫の手を受け入れて、この心地よさを甘受しようとするほうへ意識が傾いていく。
しかし。腰をさすっていた達也の手が、さらに流れて。
乱れた白衣の裾から伸びる太腿にかかったことが、佐知子の理性を呼び覚ました。
「ダメッ!」鋭い声を発して、強く達也の手を掴んだ。
「いけないわっ、達也くん」これ以上は、と決死な表情で達也を見つめる。
貞操を意識する部分に近づいたことが、佐知子の危機感を蘇らせたのだった。
「わかったよ」意外にも、あっさりと達也は折れて。
置き土産のように、ストッキングを汗で貼りつかせた内腿をひと撫でして、小さな悲鳴を上げさせたあとに、佐知子の下肢からら手を離したが。
「いまは、佐知子さんの素敵なオッパイだけで我慢するよ」
「…えっ? あ、いやっ」佐知子を翻弄する手は、隆い胸元に戻って。
あろうことか、白衣の合わせをくぐって内側に潜りこんでくる。
いつの間にか、佐知子の胸のボタンは、上からふたつが外されていた。
「た、達也くんっ、ダメ……アァッ」
フルカップのブラジャーごと豊満な肉の膨らみをつかまれ、大きなカップを押し潰すようにギュッと握りしめられて、苦痛とも快感ともつかぬ強烈な感覚に、佐知子は甲高い叫びを迸らせて、背を反らせる。
「スゴイや。本当に、大きいね。佐知子さんのオッパイ」
「アッ、イ、や…め、アアッ」
さらに何度も手の中の肉房を強く握って、佐知子に悲鳴をしぼり出させて。
達也は、不意に激しい勢いで、佐知子の唇を奪った。
「フウウ……ム…ウウ…」抗議の声は封じこめられ。
佐知子の必死の抗いは、達也のキスの威力に、たちまち弱められていく……。
……佐知子の意識は混沌の中に投げこまれて。なにがなんだかわからないままに達也の狼藉を許してしまっている。
白衣は、完全に前をはだけられ、肩をぬかれてしまった。
純白のブラジャーも、すでに乳房を隠す役目を果たしてはいなかった。

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先生・生徒・禁断 | 【2017-04-02(Sun) 12:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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